2011年11月26日

とりあえず、今年は終了〜!

昨日の名古屋でのセクマイイベント「あるかん」、無事終了にて、とりあえず今年の「お外に出てしゃべったりうたったりする」活動は、ひとまず終了〜!(早いんちゃう?って言われても断固終了です(笑))

いやはや、イベントすごかったよ。お客さんも結構満員やったし、とにもかくにも、学生さん達の若さ、ひたむきさの渦、渦、渦・・・。ライブハウス入った瞬間から「おはようございまーす!」「よろしくおねがいしまーす!」と、通常のライブハウスなんかとは比べものにならない大人数による大合唱(そら、卒業制作で今日だけは学生さん達が全員ライブハウススタッフやってるから当たり前)に虚を突かれ、その眩しさ神々しさに瞬間的に号泣しそうになっていたアタクシでした。

「若くて一生懸命」が束になってキラキラと輝いているのを目の当たりにするだけで涙腺が緩む私ってどーなの?って感じもするけど(笑)、音楽業界にこれから入っていこうとする人達が、セクマイについて、性の多様性について、つまるところダイバーシティの素晴らしさについて学んで、その結果ホントにピュアにその精神に共感した上で、このイベント制作に取り組んでいることが皆の動きからヒシヒシと感じられた。この人達が世の中を作り替えていくのかもしれないわ、と、マジで感動してしもた。いいイベントでした。呼んでくれてありがとう。ギョーカイに入って疲れて汚れてきたら、この日のことを思い出して是非がんばってね!(懇願)

・・・ってところで、今年はひとまず終了です。これからはしばらく沈潜させていただいて、ものすごぉ〜く集中してやらねばいけない個人的な作業に入ります。(ナゾですみません)

posted by 笹野みちる at 20:02| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月11日

11月、セクマイ系イベントに2本出演します!

はぁ〜〜〜〜。

スティーブ・ジョブズ、死んじゃったね。悲しいね。

スティーブに敬意を表して、これを機にiPhone4S(4Sって、“for Steve”やと聞いて落涙!)に乗り換えようと思ってソフバンショップに勇んで乗り込んだら、月賦がチャラになるキャンペーンて、iPhoneユーザーだけやったのね。早とちりやったわ。孫さんのツイッターにフツーの3Gケータイでも月賦チャラ企画やってくれませんか?てツイートしたら「やりましょう」て言うてくれへんかな。無理やろな。


・・・気を取り直して。秋といえば「祭り」の季節ですな。

11月に偶然にも2カ所から、セクマイ(セクシャルマイノリティー)系イベントへの出演依頼があり、弾き語りでゲスト出演させていただくことに!!

5月の福岡以来の弾き語り旅行!(笑)嬉しいです♪・・・そして、そのうち一本(名古屋の方ね)は、久しぶりにありちゃんがベース弾いてくれることに!楽しみやわ〜。


一本目は、11/5(土)。

これがなんと、「関西レインボーパレード」という、関西地区(大阪)での大々的なLGBTパレードのアフターイベントに参加するんやけど、トークでご一緒するのが、土肥いつきさんという方。

この方が…すごい。ホンマに早くお会いしたい。色々お話ししてみたい。
私、これ読んでかなり胸を打たれました(涙)↓(後半の方に土肥さんの話が)
http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/arch/tue/40914.html

土肥さん自身のサイトはこちら↓
http://www.ituki-d.net/index.html


ほんで二本目が、11/25(金)の、名古屋での専門学校の卒業制作イベント。

これが・・・なんとも不思議な企画で、普通のエンタメ系専門学校の一学科の卒業制作イベントなんやけど、なぜか「セクマイ応援」企画・・・。

不思議に思った私は、学生さん達の中に当事者でもいるんかな〜と思い、尋ねてみたところ、なんと!当事者は一人もいないのだけど、「学生の中で一人、当事者と関わったことで深くセクマイの問題を考えるようになった者がいて、『セクマイが当たり前に受け入れられないこの社会はおかしい!』と、広く思いを訴えたくなったのが企画の発端」とのこと。

・・・これまた感動してしまった笹野でありました(涙)。

ホンマ世の中、変わってきてますよ。

いろんな人が、それぞれの場所で、それはそれはがんばって生きてんねん。

そこに命の輝きがあんねん。いろいろな花が咲き乱れるお花畑やねん。

そんな色とりどりの輝きを綺麗やな〜って感動しながら、自分も一所懸命いまここを生きてるだけでええやん!生まれて、咲く。咲いて、散る。それ以外に何を他に必要とするねん??・・・て。

自分の内に咲く花も、自分の外に咲く花も、花は花。花を愛でよう、美しきかな!

・・・そんな気持ちで秋のレインボーな2本の催しに参加させていただこうと思っております。

というわけで、11月の2本のライブ、お時間あったらぜひ見に来てね。もちろん、当事者の方もそうでないかたも、誰でもウェルカムですよ♪

魂にビビっと来る方、大歓迎!!(笑)



●11/5(土)関西レインボーパレード 2011公式アフターパーティー

場所:大阪キタ do with cafe
時間:19:00〜05:00 (受付19:00)(※笹野出演時間は20時前後から予定)
料金:¥3000/1D
   ¥2500/1D(with FLYER )
¥2000/1D(with 関パレ特製シール・数量限定)
※関パレ特製シールは出発・到着地でのカンパにてお渡しします。

イベント詳細は関パレ公式サイトのこちらをどうぞ


●11/25(金)名古屋  あるかん‐SEXUAL MINORITY EVENT‐

場所:CLUB SARU (名古屋市中区金山3-5-23 電話:052-321-361)

Open 18:30/Start 19:00/Close 21:00
入場料:前売り券 2000円/当日 2500円
(どちらも別途ドリンク代 500円がかかります)
※前売りは予約フォームからお願いします


↑私は、弾き語りwithありちゃんベースサポートと、当事者達による
トークショーへの出演予定。割とのっけから出る予定なのでお早めにお越しくださいね!
(当日になり多少の出番の変更あるかもしれません!!)
posted by 笹野みちる at 13:08| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月12日

9.11と、トランジション・タウン

昨日は、震災からちょうど半年の9.11やった。同時に、NYのあの日からちょうど10年。どちらの記憶も生々しく頭を去来する一日。東京では新宿とか経産省のまわりとかで、かなり大規模の脱原発デモが開催されててんけど、私は一日家にいて、ちょっと勉強せんとあかん本を朝から晩まで寝っ転がりながら読んでた。ちょくちょく気にはしてたんやけど、新宿は一万人規模のものすごい盛り上がりやったらしい。しかも、警察がかなり横暴やったみたいで、理不尽ともいえる逮捕が相次いだ様子。別に、デモ隊の様子は私が参加した高円寺のデモのときと変わりない感じで、50年代の反核デモのときや、60年代の安保闘争のときみたいな「左翼過激派」の扇動とか全くあらへん。明確なイデオロギーをもって社会転覆を計画してるなんてノリじゃなく、ほんまに3.11と原発事故のせいで、否応なく現実に目覚めた人たちの集合体ができあがってるだけ。にも関わらず、いわゆる“体制側”の空気がピリピリしはじめてる。まあつまり、共産主義や資本主義とかの「頭で考えた(妄想した)主義=イデオロギー」でなく、地球や自然に感謝して身の丈でリアルに暮らせる幸せな社会を作っていきたい!と思った人たちが、一人一人目覚め始めただけ。そういう力があれよあれよと盛り上がってきて、全く新しい、本物の過渡期が始まってるということなんやろう。

「幸福=富や自由の追求」という妄想に追い立てられたあげく、お金に振り回されたり権力に脅かされたりする社会に暮らすのはもうこりごり、と思ったとして、じゃあ、実際に、何をしていけば我々はホンマに幸せな社会に住めるんやろう?ということになるんやけど、これが、しらんまに、あっちこっちで、それこそものすご地味〜に地道に、草の根のごとく始まってきてる動きがある。それこそ私も、知識としてはぼんやり知ってたけど、実際にその場に足を運び始めたのはここ一ヶ月ぐらいやねんけどね。原発の問題から始まって、自然にそこにアクセスしてきてる人も増えてるんちゃうかな。

それはどういう動きかというと、「トランジション・タウン」というもの。Transition、ってつまり、「移行」。間違ったらあかんのは、どっかの別天地にユートピアをドカーンと作るんやなくて、自分らが住んでる町で、そこの場で、じわじわとその在り方へと「移行」させていくっちゅーこと。

トランジションタウンのちゃんとした説明は、「NPO法人トランジション・ジャパン」に詳しいけど、ようするに、私が思いきって自己流に説明しなおすと(これがかなり意訳しがちやけど(苦笑))、ようは原発や石油とかにガンガン依存したエネルギー浪費型の社会なんちゅーもんは、どっちにしてもいずれ必ず「ムリ」が来るし、自分らも結局その中で幸せかっちゅーと、どうも「ムリ」してきたし(経済成長の頭打ちの現実&日本の自殺率の上昇や鬱病の増え方見て!)、結局、「原発」に象徴される中央集権型・エネルギーじゃぶじゃぶ経済成長至上主義の結果、「右肩あがりで地球も生命もボロボロ」になる前に、ホンマの幸せな社会や生き方ってなんやったっけ?というのを虚心坦懐に見つめ直してみたら、必然的に、「ムリすんのは疲れるわ」と気づいて、身の丈重視=地域重視になって、自分の町で有機野菜作って、自分らで食べたいな、ってなったり、エネルギーも自分らの町で自給して、自分らで使えるぶんだけでなるべく生活したらええやん、ってなって「地域分散型再生可能エネルギー」とか考え始めたり、なんか、みんなでゆる〜く、いっしょに生活する方が楽しいんちゃうかいな、とかなっていって、「コレクティブ・ハウス」とか「長屋暮らし」とかになったり、結局、「お金」があるから、お金に縛られたり借金したり投機に走ったりとかややこしいし、いっそ「お金」やめてみよか、ってなって、地域でしか流通しない「地域通貨」(完全に、「通貨」すらない、赤字も全然OKな「通帳型」という画期的なものさえ始まってる!藤野の地域通貨、「」参照。)ってのを作ったりとか・・・結局、「右肩あがりから、ゆるぅ〜く降りていく」ということを、自分らのリアルな生活レベルで色々試行錯誤して実践していったら、必然的にそれが「持続可能な社会」になるんちゃうの?ってことなんやと理解してんねんけど。そういう生き方って、「もっともっと」じゃなくて「足るを知る」っていうのがベースにあるんやろけど、結果的にその方が、なんぼか生活が創造的でワクワクすることが多くて、地域のいろんな人ともコミュニケーションが生まれて、あったかい空気になるんやな!ってことを、実践しはじめてる人たちが、その「良さ」にどんどん気づきだして発信してきてくれてんのよね。

私が実際に、その「良さ」を感じたのは、ついこないだ、地域のいわゆる「市民派」の市会議員さんが開催した勉強会みたいなもんに初めて参加したときやった。開催場所は、その人の事務所というか集会所で、10人以上入ったらめいっぱい、っていう、それはそれはこじんまりとした場所。そこに、地域のトランジション・タウンの代表やってる人をゲストで招いて、「トランジション・タウン」ってもんをみんなで勉強しよう!というミニ講演会が開かれたっちゅーわけ。

実は、日本のトランジションのメッカな感じになってる、藤野の「ひかり祭り」というのにちょっと前にいったことはあったけど、地域のトランジションの集まりに顔を出したんは初めて。市会議員さんの事務所なんてもんに顔を出したんも初めてやし(親が国会議員をやってたころは、否応なく出入りせざるをえんかったけど(爆))、いったい、そこで話されるテーマとか雰囲気とかって、どんな感じなんやろう?と、ワクワクして見に行ったわけ。

んで、ホンマに想像を絶する驚きと感動があったんよこれが。

トランジションに取り組んでるゲストスピーカーに呼ばれたんは、おっちゃん二人。一人は外国人のおっちゃん、一人は日本人。

時間にちょっとだけ遅れて、引き戸のガラス戸を開けて入ってみると、すでに狭い部屋の大きな机のまわりにぐるりと椅子がおいてあり、ほぼ人いっぱい。机の上にはいろんなチラシがいっぱいおいてあって、議員さんが(この人が、まったく議員ぽくない雰囲気で、どっちかというと、かなり“空気”な感じの人)イソイソと動いて、コーヒーや麦茶や、お茶菓子を運んでくれてるとこやった。部屋の中は一応クーラーがあるけど、たぶん全然効いてなくて、めっちゃ暑い。団扇がいっぱいあって、一人一人に配られて、それぞれ顔の前でパタパタしてる。

参加メンバーは、もともとトランジション・タウンに参加しているメンバー数人と、議員さんを(たぶん古くから)応援してるおばちゃん達数人。そして、ゲストスピーカーの外国人のおっちゃんは何をしてるかというと、用意してきたパワーポイントのレジュメがプロジェクターにうまくうつらなくて、スタッフみたいな人とあーだこーだパソコンいじってずっと奥の一段あがった部屋でがんばってる。その間に、なんとなくヌルっともう一人のおっちゃんの話がはじまった。

このおっちゃんの話ぶりも、ものすごく優しい雰囲気でわかりやすい。そうこうしてるうちに、無事にプロジェクターも再生されて、メインの外国人のおっちゃんの話がはじまった。今日の話は、トランジション・タウンというものを、ひとつの「料理」に見立てて、それをおいしく作るための、「60の材料」という切り口で、トランジション・タウンを成り立たせるために不可欠な要素をザザーっと60個、羅列的に紹介する、というものだった。

・・・が、始まってみると、この外国人のおっちゃんの日本語が、かなり訥々としていて(日本に住んでる年数はかなり長いみたいやねんけど)、なかなかサクサクと前には進まない。進まないのだけれど、けっしてイヤな感じではなく、とってもマイペースで、ときどき天然に「おちゃめ」で、たまに漢字が読めないと、詰まって「・・・」となるけど、日本人のおっちゃんがフォローを入れて次に進む、というほほえましさ。そして、次第に、ある「現象」が起こってきたのだった。

おっちゃん二人の醸し出すユルさも手伝ったのかもしれんけど、一部のおばちゃん達が、思いっきり「私語」を始めた。一方、スピーカーのおっちゃんが話している途中でも、おかまいなく、あいづち的なしゃべりや質問を投げかけるおばちゃんも出てくる。一人のおばちゃんが持論を展開しはじめると、それに呼応して、別のおばちゃん達も生活上の実感を語り始める。

その間、スピーカーのおっちゃん達ふたりは、なんの困惑の表情も浮かべず、じっとそのおばちゃん達の話に耳を傾けている。そして、どんどん「60の材料」から話はそれていき、ちょっと専門的な領域に質問がおよぶと、その外国人のおっちゃんは、そこに詳しい若いおにいちゃんに話をふる。そうすると、それまでずっと寡黙に下を向いていたそのおにいちゃんが、少し謙遜しながら、とっても理路整然とわかりやすい話をはじめる。すると今度は、その説明の中の「一単語」にひっかかったおばちゃんが、やおら異議を唱え出し、その「一単語」(これはいわゆる「差別用語」ってわけでもなく、むしろ、差別用語を見直すところで使われ始めた単語であるのだが)を全身で否定にかかる。もはやそれはその日の講演の本筋とはまた別の領域の話。その間も、外国人のスピーカーのおっちゃんは自然体で話を聞いている。説明をふられたおにいちゃんも、なんら感情的になることなく、受け入れて話を終える。

ようやく話が「トランジションの材料」に戻り、レジュメが一つ進む。進むとそこでまた、応援団のおばちゃん(昔から反原発運動に関わってきたはったらしい)が、突然、「原発がなくても電気は足りる、ということを、客観的に世の中にきちっと説明していってほしい!」、などと言い出して、それに対して「そういうのなら、ユーチューブで今いろいろありますよ」などと対応すると、「私もそれぐらいは知ってますけど、世間は知らないでしょ?」などという話になって、またまたトランジションの話からどんどんずれていっているように思われる・・・が、外国人のおっちゃんは、またフムフムと、聞いている。

そして、よくよく観察してみると、その場にいる男達は、ゲストスピーカーの二人を含め総勢4名だけで、あとは全員、女。その中で、話をものすごくややこしくしているのは、明らかにおばちゃん達で、一応、ファシリテーターであるところの議員さん(この人も女性!)が、何度か「あのぉ、今日はトランジション・タウンの勉強会で・・・」と、軌道修正を試みようとしても、おばちゃん達はどこ吹く風で、「自分の知っていること」に基づいた、講演の流れとは直接関係のない話を繰り出しまくっているという状態。それがほとんど最後まで続き、結局、「トランジション・タウンの60の材料」のうち、28ぐらいしか進まなくて時間切れとなってしまった。はっきりいって、勉強会としてはワヤクチャのむちゃくちゃ。ほとんど、おばちゃん達による「学級崩壊」であった。議員さんも「まあ、なんとか半分まできたってことで、残りの半分は、次の機会でってことで、よろしくお願いします」と、その場をユルく和やかにしめて、終わった。・・・私は、最後はほとんど感動の渦に包まれていた。

なぜかというと、結局最後までそこに居合わせた男達から、なんら「抑圧的」な言動が発せられなかったからだ。ゲストスピーカー二人からはもちろん、それ以外の二人の男性参加者も、最初っから最後まで、徹底的に「受容的」な空気しか発していない。おばちゃん達だけがのびのびと逸脱を繰り返し、最後にはそのうちの一人が「自分の庭でゴーヤが採れすぎたから、みんな持ってかえってね!」と、袋にがっさり入ったゴーヤがドンと机に出され、皆に配られた。

・・・私は、トランジション・タウンをやっていこう、ということは、こういうことなんやな、というのが、どんな説明にもまして、完全に肌でわかった。

中央集権的でなく、目的指向的でなく、急がず、多様性を認めて、地域の自治と自律を大事にして、ということのひとつのプロセスが、目の当たりにそこにあった。なんとなく、次世代的でカッコヨサソウな響きすらしはじめている「トランジション」的なことの実際は、こういうことなんや、こういうある意味での「不器用さ」みたいなものを、「おもしろい!」と、受け入れ続けていける感性というものこそが、トランジションの基本なんやな、というのを理解できたような気がした。

ごく身近な近所には、話のきけへんおばちゃんもいれば、抑圧的なおっちゃんや、年寄りもわからずやも、何も物を知らん若者もいるかもしれん。それをお互いに排除せず、あるがままに受容しつつ、その中でゆっくりと自然に次の動きが生まれていくのを楽しめる感覚。これは、なかなか既存の社会の中ではありえへんかったもんやと思う。時間に追われて、あせって、結果次第で生きるか死ぬかみたいなところに巻き込まれて、数の論理でごり押しして恫喝して黙らせてきたような社会とはほど遠い在り方。そういうのんにほとほと疲れ果てて、別の生き方を完全に指向してる男達もいるんや、というのも実感できたし、何はともあれ、女達が一番元気やったのも、うれしかったしね。

・・・あ、それで、トランジション・タウンのひとつの目玉でもある「地域通貨」ってものについても、ものすごくおもしろい気づきがあってんけど、長くなりすぎたんで、その話はまた次にでも。





posted by 笹野みちる at 20:10| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月23日

Grace

・・・今の今まで2時間以上かけて、京都帰省の感想やら、ツリー・オブ・ライフの感想やら書いてたのに、うっかりして長文テキストを、ある言葉を上書きコピーしたままタブを閉じてしまったばっかりに、消去してしまった・・・・その言葉とは、


Grace



・・・・・・。



すべて消えて、残ったものが、これだけ。



Grace



・・・・・。



はい。わかりました。そういうことなんですね。。。




すべて消え去り、残ったものは、それだけ。



posted by 笹野みちる at 00:23| 東京 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月10日

ちょっとご無沙汰してたけど、「セシウムさん」と「大文字」!!これは書かずにはおれんな!

だいぶ、ご無沙汰してしもたわぁ。まあ、ちょっとこの夏は、集中せなあかんことがあったりして(ようやく、それはついこないだ一段落してんけど)、ブログで考えを表現するっちゅーことへのエネルギーがそがれてたんは事実やなあ。すんません!・・・ま、でもその間、なんも考えてなかったわけではなくて、東北の被災地へボランティアに行ってきたり、いろんな脱原発系のイベントとかにも参加しててんけどね。実は、色々考えさせられ続けてる毎日でした。

そやけど、実際問題、2カ月ぐらい前とは比べもんにならんほど、全国的に「脱原発」への意識が高まってきてて、正直、感動してるとこもある。ていうより、今までなら絶対に明るみに出ることもなかったような、組織の中や人々の心の中に巣食い続けた「澱のようなズルさやゴマカシやナメた気持ち」が次から次へとバレにバレて、さすがにみんな目が覚めはじめた、というのが実情なんちゃうやろか。その「汚さ」を非難したくなる衝動と同時に、確実に自分の中に巣食っていた同質の「汚さ」がお陰さまであぶり出されて、人知れず悔いるような気持ち。そういうのが「脱原発」へもつながっていってるんちゃうのかなぁ、と思う。

たとえば、某テレビ局の「セシウムさん」のテロップ問題とかさ、ああ…このフザケたノリを悪びれもせずやっちゃえる感覚って、音楽業界の中でも当たり前にあったなぁと、正直、真っ先に思った。思いだした。

平たくいえば、「一番世の中で触れてはヤバいネタ」というのを、いつも敏感に感じ取って茶化す、という文化。もっと簡単にいえば、「深刻なもの」を「冷やかして笑う」という徹底したセンス。もっとも、そこに「愛」があれば、たちまちその精神は人を生かす「ユーモア」になりえるんやろけど、それはあくまで「当事者」から生み出されるユーモアやんか。実情はそんなええもんではなくて、単に、すべてのものが「他人事」に感じられるからこそ垂れ流せる「虚しいセンス」やねんな。そういう「虚しいセンス」を披露することによって、その集団への帰属意識を高めようとする、これまた虚しい営みなんやけど・・・まあ、私もようそういう「場」で笑ってましたわ。ホンマに。。。

そんで、さすがに3・11以降って、そういう「他人事感覚」が日本中から払拭されて、「当事者意識」が勃発しまくってるときに、久々に能天気な「他人事感覚」を突きつけられたために起こった自我の罪悪感みたいなもんが、「セシウムさん」事件への世の中の反応の理由のひとつやったような気がする。私も、胸の奥がキュって痛かったもん、あれ最初に見たとき。その痛みは確実に「ひどい言葉に胸を痛めた」というものとは少し違って、「あ、このノリ・・・私もこれに関係してた!!」という、苦しいデジャブみたいなもんやった。

そしてそして、さらに・・・これは「京都人」として、あれこれ感じずにはおられん事件やったし書くわな。

京都の「五山送り火薪騒動」。

この事件で、まず何よりも押さえとかなあかんわ!!と思ったことは、間違っても、京都人がブツクサゆうてきた「文句」と、「『脱原発』の意思表明」とを同一視するようなことがあったらあかん、ということ。「放射能が怖い」という感覚は、当たり前の感覚やし、「放射能ってやっぱり怖いってことがわかったから、原発はイヤや!」という感覚は、真っ当やと思う。そやけど、よう考えてみてほしい。たとえば、「琵琶湖に放射能の灰が降ってきたらどないしてくれはんの!?水飲まれへんようになるやないの!」と、文句つけてきた京都人が、果たして、もんじゅの廃止や美浜原発の即時停止を真剣に訴えていたやろか、と。

・・・推測でものいうのんもアレやけど、たぶん、「脱原発」という意識をしっかりもった人なんて、その中にはほとんどおらんかったんちゃうやろかと思う。ようは、ただただ「心配」に支配されてただけの人達、やったんちゃうやろか。まあ、政府の言うことも東電や九電のいうこともウソばっかり、という状況の中では、何がなんでも「心配」でしょうがない、という人々の気持ちも責められへんというのは、確かにあるよ。

ただ、今回のことは、私も京都人として自戒を込めて言う権利があるかなぁ、と思うからあえて言うけど、「ああ、京都が言いそうなことや」ていうのと、そういうクレームちょっとつけられただけで、取りやめにしてしもたり、それに対してまたクレームがきて、またクルっとひっくりかえしたりするとことかも、「ああ、京都がやりそうなことや」と、正直いうて思った。最近よく言われる「原子力ムラ」やないけど、隠然と「京都ムラ」っちゅーもんがあって、「京都ムラ」の利権を脅かすものに対しては、したたかに激しく抵抗する。「ウチ」と「ヨソ」を厳然と見分けて、ウチを守るために、ヨソさんに対する合理性に基づかない(だって、薪は岩手の陸前高田ので、放射能検査してもシロやてわかった上やったんやで!)嫌悪感というのを色々な面で隠し持ってるのを感じるし、ウチの「空気」ばっかり読んでるし、ちょっとでもヨソさんがウチに入ろうとするならば、まずは「空気」を読むことを強要するっちゅーところがあるように思う。そういうので「伝統」を守ってきた、という自負があるから、話がややこしいねんけど。

でまた、それが同時に「反権力の文化」みたいなもんとして作用するのも京都のおもろいとこで、京大の原子炉実験所に小出先生みたいな人がいてられるのも、そういう「京都の反権力文化」の賜物とも言えるわけ。小出先生自身もそんなことインタビューで答えたはったで。たぶん「送り火で陸前高田の薪つこたらどーですか?」と持ちかけられてその気になった保存会のおっちゃんらの中にも、そういう反骨な人がおったんちゃうかなぁ。「国もモタモタしてるばっかりでアカンし、ウチの五山の送り火でしっかり供養さしてもらいますわ!」と。そやけど、意見調整の段階で、反対意見が激しくぶつかり合ったり明確なビジョンに基づく合理的な議論がきっちりなされた結果・・・ということではなく、京都的な悪習「空気の擦り合わせ」によって、結局断念してしもたんちゃうか、と。(ほんでもその後の全国からのクレームのおかげで、また空気が変わってんけどね・・・)

つまり、こういう風に京都の要素って、めちゃくちゃカッコええもんと、めちゃくちゃカッコ悪いもんが、激しく絡まりあってて、今回の事件はまさに、そういう京都の複雑な面が、混乱しながら絡まりまくってもっともザンネンな結果になってもた、という気がしてならんねん。そういう意味でも、これまた「隠されていた問題点」がお陰さまであらわになったことで、今後の京都人の生き方を考える上での大きな材料にしていかんとアカン!と思う。いままでみたいに、単純に「ウチの空気」だけ読んでたらええ時代は絶対終わったんやから。「ウチの空気」ではなくて、「真実」が顕わになってきたんやから、3.11以前のようにはもうのらりくらりでけへんのよ、向き合わんと!・・・と、ほんまに自戒を込めて、思う。


ほんでやっぱり、京都在住の京都人は、関電に対する脱原発運動をもっとガンガンにやってほしいわぁ。拝観税を突っぱねたり、鴨川に架けようとしてたフランス橋を突っぱねたりしたときみたいに、関電の原発もしたたかに激しく突っぱねていったらカッコええと思うねんけど。それで、京都らしい小規模分散型の自然エネルギーの在り方とかを議論する「空気」が街中に溢れてるとか。ちょっとカフェに入ったら、学生らがあっちこっちでそんな会話してるとか。むちゃかっこええやん、そんな京都。もう、空気ばっかり気にして偏見と差別にがんじがらめになるような京都の側面からは卒業すべきやでぇ!

・・・というわけで、私はこのお盆は京都にちょっくら帰ってきます。そんで、五山の送り火も旧友とたっぷり観賞してくる予定!感慨深いやろなぁ、今年はひときわ!!

供養、そして希望を。光に根付いた本当の希望が全ての人の上にもたらされますように。

真剣に祈ってきます!(^^)








posted by 笹野みちる at 22:26| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月15日

ひっさびさに風邪ひいてもた&関学で講演します!

あーーー、やられてました。ひっさびさに風邪ひいてダウン。でも、もう復活したよ!ここんとこの健康管理のせいか(いや、これでもがんばってんねんてば!(苦笑))、以前に比べて復活も早まってきてるかも。ありがたいこっちゃ♪

ちょっと更新できずにいた間、世の中はまたジリジリと変化してますわな。イタリアすごい!日本もまあ見ててや。じきに追いつくで。日本国民もアホちゃいますねん。だって、日本の原発は法定検査ですら、むっさむさズサンやったそうやけど(検査前に2000円の弁当を電力会社からおごってもらってから検査してたらアカンやろぉ!(泣))、もう、どう考えたって、きっちり真剣に検査なんかしたら、たぶん一機たりとも動かせへんし、あんな無理くりな機械がどこも問題なく「完璧」にメンテナンスなんかできるわけないやん、ってことかて、もうみんなにバレバレやねん。推進側もええ加減、そういう無理くり無茶苦茶な原爆寸止めマシーン(結局寸止め失敗やし)を「支配下に置いておきたい」という妄想から即刻目覚めてもらわなあかん。さらにこの期に及んで、それらを「地下」に潜らせようとしてるオッサンらにいたっては・・・「コラーっ!アホかっ!!そんなんしたらアカンゆーたやろっ!そこっ、おシリ出して並びなさい〜!!!(怒)」って、あんたらのおかあちゃんに聞かせたら泣かはんで。ボッコボコしばかれっで。砂場にウンコ隠すんとワケが違うねんで。

・・・あ。ついつい勢い余って、お下品なことを引き合いにだしてしまったわ。失礼。でも真面目な話、「この人のおかあちゃんはどう思うやろ」・・・とか、そういうとこに引きつけて考えると、ものごとの本質的な良し悪しって、ずいぶんクリアになったりするよね。

まあ、そんな感じで、最近、東京新聞もとりはじめたりしている私です。


・・・ほんで、ですね。

「おかあちゃんはどう思うやろ」問題。

原発に関してはかなり有効な思考実験なのですが、これが「セクシュアリティー」に関してとなると、うってかわって、たちまちややこしくなります。

むしろ、この問題に関しては、「おかあちゃんがどう思うか」に縛られすぎると、身の危険に及ぶことさえあります。親や他人の考えを極端に気にしすぎると、ホンマに危ない。自分の人生が、命が危ない。

「核」の場合は、「非核三原則」でええんやけど(原発を見たら守れてるとはいえへんわけやけどね!)、「セクシュアリティー」の場合は、「比較しない三原則」が、大事なわけなんです。

・・・と、いうわけで、今月の27(月)、28(火)に、ちょいと西の大学で、講演なるものをさせていただきます。関西学院大学・2011年度大学主催春季人権問題講演会。ひさびさに、セクシュアリティーのことに関して、しゃべります。誰でも来てええらしいので、ぜひぜひ来てくださいね。また最後にちょろっと弾き語りする、、、かもしれん。(笑)

以下、大学のサイトからコピペです。直リンクはコチラ!←大学の地図もこのリンク先、右上の「交通アクセス」を見てね。

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2011年度大学主催春季人権問題講演会開催(笹野みちる氏)

2011年度大学主催春季人権問題講演会の開催について

総合テーマ:Culture of Human Rights−人権文化を育む(2010〜2014年度)

1.日 時: 6月27日(月) 午後3時10分〜午後4時40分 
  場 所: 神戸三田キャンパス U号館201号教室
  講 師: 笹野 みちる 氏(ミュージシャン)
  題 目: 「“比較しない”三原則」〜無理せず・卑下せず・押し付けず・カミングアウトから見えてきた私的幸福論

2.日 時: 6月28日(火) 午前9時00分〜午前10時30分 
  場 所: 上ケ原キャンパス 第5別館4号教室
  講 師: 笹野 みちる 氏(ミュージシャン)
  題 目: 「“比較しない”三原則」〜無理せず・卑下せず・押し付けず・カミングアウトから見えてきた私的幸福論

<講師紹介>
 1967年京都府生まれ。同志社大学経済学部卒業。在学中の1988年に「東京少年」のボーカルとしてビクターよりメジャーデビュー。バンド解散・ソロデビューの後、’95年、幻冬舎より『ComingOUT!』を出版、ベストセラーに。日本のメジャーシーンでは初めてレズビアンとしてカムアウトしたことで話題を呼んだ。その後、急激な“カミングアウト・ロー”に襲われ鬱状態となりメジャー活動停止。地元京都で「京都町内会バンド」を結成し、マイペースなインディーズ活動をはじめる。現在は東京在住にて、介護ヘルパー・保育助手などしつつ、各地で弾き語りソロライブも行っている。他著書に『泥沼ウォーカー』PARCO出版。

<講演内容>
 後に人権派参議院議員となる権力志向な母は、憲法を教える大学教授。源氏物語が好きなノンポリ数学教師の父は、口数少なく気弱。ベビーシッターも兼ねる住み込み研修生のような人々が入れ替わり立ち代わり常に何人かいるような家庭環境のもと、なんとなく矛盾がいっぱいで生きづらい幼少期を送りつつ、いつしか「真実ってなんやろう?」みたいなことを激しく求めはじめた私。メジャーデビュー後は「女らしさ」の期待と圧力にとまどい、自分らしさを求めて同性愛者としてカミングアウト、すると今度は自ら「正しさ」への呪縛にからめ捕られウツ状態に…。不細工で不器用な人生を通しつつ、それでも見えてきた「私的幸福論」をたたき台に、「皆が生きやすい社会」とは何かというところまで、考えをシェアできればと思っています。

*本講演会では手話通訳、パソコンテイクによる情報保障を予定しています。
また、録音、録画を行い図書館資料として保存しますのでご活用下さい。
posted by 笹野みちる at 18:40| 東京 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

パフスクールから帰ってきました!

いろんなところから、駆けつけてくれはった方々との、濃密であっという間の2時間やった。

久しぶりに会った、いつもライブに来てくれたはるお客さんの姿もちらほら。「元気やった?」「無事で何よりやったねぇ」と言葉を交わす。北原みのりさんも来てくれて、持前の過激かつピュアな“北原節”が聞けたのもよかった(あ、『スモール イズ ビューティフル』早速注文したよ!北原さん!)し 、オーガナイザーの沢部ひとみさんの、福島県いわき市でのボランティアの話も貴重だった。そして、客席の中には、実際に東北のある地域で被災され、今はこちらに避難しているという方もいた。その人は、終わってから直接私に話しかけにきてくれて、自分の経験を語ってくれた。ここでは具体的には書けないが、ただ涙ぐむしかできない、言葉を超えた苦悩の現実。本当に、私には返す言葉がなかった。

とにかく、それでも、来てくれはったみなさま、会えて嬉しかったです。ありがとうございました。


それでや。

帰ってきてから、独自にホールボディカウンターを利用した内部被曝検査を行うことを明らかにした、福島県二本松市長のインタビュー映像を見た。

凄かった。これが今日の話の結論や、とすら思った。

「この3.11を境に、新たな安全・安心、経済優先から人間尊重・人間優先、自然や地球環境と共生できる持続可能な美しい豊かな未来を築く・・・その歴史の分水嶺であると判断しています。そうした歴史の分水嶺にしていかなければならない。そうすることが・・・この地震や津波や放射能によって、多くの尊い命が失われております。また、今もなお、多くの方々が行方不明になっております・・・そういう、犠牲になられた皆さんに応える、唯一の道だと確信しています。」

このように最後の部分で語った市長は涙ぐんでいる。本当に魂の底からの訴えが伝わってきた。

今、「供養」という言葉が意味を持つとするならば、この市長が語っている内容にこそある、と思った。そして、都会に住んでいる人間のやるべきことも、これに尽きるやろう。悔い改めて、生き直して、表明していこうや。

二本松市長のインタビューは、こちら。


posted by 笹野みちる at 02:31| 東京 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月26日

パフスペースでのトーク(ライブ)、まだ行けるみたいよ!

気が付いたら、もう明後日になってしもたな〜。パフスペースでの催し。

久しぶりの「講演」な試みですけど、どっちかていうと、私の話は1時間ぐらいで、その後、ほんのちょろっと弾き語りして、最後に、参加してくれはった人達と一緒にディスカッションをざっくばらんにたっぷりやりたいと思っています。

なんか、震災から2か月半が経って、きっとウツの波みたいなもんが訪れている人たちも少なからずいてはるんちゃうかなぁ〜と思うねんよなぁ。あまりの過酷な津波の映像とその後の余震がトラウマになっているとか、原発のことで思うことはいっぱいあるのに、周りに心配かけたらアカンと思って内に秘めて我慢してるとか、まるで原発などなかったかのように過ごしてきたそれまでの自分を振り返り、拭い去れない罪悪感にからめ捕られてしまってるとか、使用済み核燃料の処分のことを考え始めたら気が狂いそうに絶望的になるとか、もっと直接的に、小さい子どもがいて放射能のことが心配でたまらんのに、世間の空気が自分の不安感とかけ離れてて一層不安になるとか、・・・とにかく、そういうものを思いっきり表に出して、みんなでシェアできるきっかけになればええかなぁ、と思ってます。私の話は、そのたたき台という感じでとらえてもらえればええんちゃうかしら。

とにかく、状況がどうであれ、人間はいつだって「癒されるべき」なんちゃうかなぁ、と思う昨今です・・・いや、癒されるべき、ていうのは変かな・・・「癒され“得る”」っていうたらええんかしら。どんなときでも癒しは訪れるんや!ってね。

「癒し」、とは「安心感を与えること」。
「心が休まっている」っていう状態は、矛盾するみたいやけど、あらゆる有意義で活発な活動の「基礎」やと思う。
そんな場所になったらええなぁ、と思います。・・・ていうか、そんな空気に私自身もぜひ触れて癒されたい。

というわけで、明後日、楽しみです。みなさまよろしくお願いします!

明日(27金曜日)の15時までの振り込みができるなら、まだ前売りでいけるそうですんで、もしまだ迷っている方がおられるようでしたら、ぜひぜひ来てくださいね。語らいましょう。

詳しくは、下記パフスクールさんからの講演会紹介文をどうぞ〜!

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<パフスクール>

パフスクールは、ジェンダー、セクシュアリティ、マイノリティの視点に立ち、生きる知恵と勇気を共有し、学び合う場です。

笹野みちる講座「3.11後の私
講演 「3.11後の私」
●講師 笹野みちるさん(ミュージシャン)

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1988年、ビクターより「東京少年」でメジャーデビュー。バンド解散・ソロデビューの後、'95年、幻冬舎より『ComingOUT!』を出版。日本のメジャーシーンでは初めてレズビアンとしてカムアウトしたことで話題を呼んだ。現在は東京在住にて、インディーズ活動を気の向くままに行っている。

●講演概要
 東日本大震災は、私の心深くに何をもたらしたのか?――日々の暮らしが津波で一瞬にして奪い去られた被災地の様子。私達の暮らしを支えていたはずの「原発」の崩壊。目に見えず手の打ちようもない放射能の恐怖が、ここ東京でもリアルに迫ってくる日々――あまりにも唐突に崩れ去った「日常」の瓦礫の上にたたずみ、まず何から始めるべきか?――3.11以前の心の用い方を根底から問い直し、あらゆることに「積極的な意思」を振り向けて生きるという試みを模索してみたい。

●日程  2011.5.28(土) 18:30開場19:00開演
●定員 30名(最少開講人数10名)
●会場 パフスペース(東京メトロ東西線早稲田駅徒歩5分)※地図はコチラ
●受講料 事前振込2,000円 当日支払2500円
●申込受付期間 5月1日〜5月27日(※延長しました。定員に達し次第、申し込みを締め切ります)
●申込フォームはこちら https://ssl.form-mailer.jp/fms/b6e380f2145107






posted by 笹野みちる at 22:51| 東京 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月18日

見て来た・・・『100,000年後の安全』

・・・帰ってきた。

さっきの記事、何をそんなに急いで書きなぐらんとあかんかったかというと、映画『100,000年後の安全』を映画館まで見に行く時間が迫ってたから。ほんで、今、帰ってきた。

・・・結論から言うと、素晴らしい映画やった。皮肉なほどに芸術的な作品であり、どんな言説よりも原発の愚かさ恐ろしさを知ることができる映画やった。

これを見終わった瞬間に、小出裕章さんが「全ての原発を即刻停止すべきだ」と、しょっちゅう言うたはる意味が、ホンマに理解できた。もう、一分一秒たりとも、核燃料を燃やしてほしくない。使用済み核燃料をこれ以上1mmたりとも作りだしてほしくない。

帰ってきてYahoo!のトップニュース見たら、首相の記者会見で「原子力のより安全な活用方法が見いだせるなら、さらに活用していく」などと述べていたらしい。

とんでもない!!

・・・ホンマに、この映画、今すぐすべての人に見てほしいわ。

こんな調子ではアカンのや。

まだまだ、今、この国に生きてるもんは、やらなあかんこと山積みやで!!




posted by 笹野みちる at 22:54| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

〈内在〉的事情と〈超越〉的事情

あかん。「あたたかい気持ちで居続けよう」とか書いたくせに、もう、ウツになりそうやわ。ウツには10年以上前にずいぶん悩まされて、もうあんな日々はこりごりやわと思ってたけど、今の世の中の現実が、あの頃の個人的なウツ事情をはるかに凌駕してしまうほど深刻で暗澹たる状態なんやもん。

そう。多少の募金はしたよ。だけど、私が津波で流されたわけでもない。放射能汚染は確かに人ごとではないけど、強制避難区域に住んでいるわけでもない。そんな立場であっても、原発のことは3.11以降、最初っから気になって気になって仕方がなかった。とにかく、結構な情報をインプットして勉強した。そして、色々考えさせられて、考えが追いつかなくて、直感レベルではもちろん沸々と何かが内面で燃えてるんやけど、左脳が追いつかなくて言語化できず、もんもんとしてるうちに、若干ウツっぽくなってたけど、今日、宮台センセの文章読んで、ものすご雲がサ〜っと晴れわたって、元気になった。そんで、私のこういうときの判断材料なんやけど、文章や発言や人のたたずまいを見て涙が出てくるかどうか、というので言ったら、やっぱり最後の方の文章でウル〜っと涙腺がお緩みになったから、これは真実やと思う。(って、ものすご説得力ないかもしれんねゴメンナサイ!)

宮台センセは、実は私、80年代から結構ファンで、大学のときのゼミの教授が宮台センセのちょっと先輩やったりして、大昔にラジオでちょっとだけしゃべったこともあるんやけど、ホンマに「あ〜、これは一体なんや!この問題のそもそもの背景には何があんのや!?」と、溶けない「問題の本質」という飴を口のなかでグリグリ必死で舐めまわしているようなときに、大抵「おおおお、そうそう!そうやったんか!!」と、目からウロコが落ちることを言うてくれはる。

で、その文章はコチラ(宮台センセのぶろぐ)。むちゃ長いけど、飴が溶けなくて苦しい人は是非読んでみて。『マル激・原発篇』の「あとがき」らしいです。


ちょっと今、時間なくて自分メモっぽいけど、こんなかに出てくる、次の2か所で私は涙した。

●〈内在〉を前に〈超越〉はいつも頓挫する

●我が国が行政官僚制肥大を克服できない理由は、単に行政官僚が政治家よりも頭が良いからとか強いからという話でなく、我々自身に、関係性内部での立ち位置ばかり気にして真理性や合理性を優越させない〈悪い心の習慣〉があり、それによって〈悪い共同体〉を営むからだ。


あー、ぜひこの前後の文脈をしっかり読んでみてほしい。

「気楽」な立場のもんが、せめても今、やらなあかんことは何なのか、ということが、しっかり書いてある。やっぱり、ホ・オポノポノやないけど、「ごめんなさい・赦してください・ありがとう・愛しています」と、いうことから始めるしかない!!(限りなく意味不明やったらすんません)


posted by 笹野みちる at 18:28| 東京 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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