2012年01月21日
そして、フライングダッチマン。凄い!
京都の映像。三条大橋界隈のフツーな日常に、突如として圧倒的なもんが突き刺さる。
涙出てきた。
そやな、そやな。
ほんまや。それや。
言わなあかん。それを思い出すために全てが起こってる。
どんどん、思いだしてきてる。
もうすぐや。
今や!
ぜんぜん知らんかった人、ちょろっと小耳に挟んでたぐらいな人は是非この映像を見てみて。
彼らと同じように三条大橋で叫ぶことがでけへんにせよ、いったん魂のチャンネルが劇的に変化したら、
必要なときには飛び出せると思う。
とにかく今は、内側から目覚めることが大事やねんよ。
・・・その引き金になる表現やと思った。素晴らしかったです。
2012年01月20日
昨日は素晴らしかったな〜
はぁ〜〜〜。雪やなぁ。。。
しっかし、昨日のみど姐レコ発ライブ、素晴らしかったです。
三姉妹の三女次女も個性を生かして(?)ええ感じ(やったと思う)けど、とにかく、みど姐の歌は素晴らしかったな〜〜。眼前に拡がる山の稜線を眺めながらこぶし回しの練習をしたというのがものすご伝わってくる、聴く者を彼方へと誘い連れ去る歌声・・・ええもん見せていただきました。酔いしれました。(酔いどれちゃうで、それはみど姐!(笑))来てくれはった方々、ありがとうございました!(アンコールの瞬間吉祥寺三姉妹もええ感じやった気がする。“昔取った杵柄”とはあのことやな(^^;))
さてさて。実はその前に町内会バンドのミーティングも終えておりまして、諸々スケジュールが決まってきております(^^)。ぼちぼち発表していきますよってに、お楽しみに〜♪(ちょっと、今月いっぱいは野暮用で籠もります。集中します。もうちょい待って!!(苦笑))
しっかし、昨日のみど姐レコ発ライブ、素晴らしかったです。
三姉妹の三女次女も個性を生かして(?)ええ感じ(やったと思う)けど、とにかく、みど姐の歌は素晴らしかったな〜〜。眼前に拡がる山の稜線を眺めながらこぶし回しの練習をしたというのがものすご伝わってくる、聴く者を彼方へと誘い連れ去る歌声・・・ええもん見せていただきました。酔いしれました。(酔いどれちゃうで、それはみど姐!(笑))来てくれはった方々、ありがとうございました!(アンコールの瞬間吉祥寺三姉妹もええ感じやった気がする。“昔取った杵柄”とはあのことやな(^^;))
さてさて。実はその前に町内会バンドのミーティングも終えておりまして、諸々スケジュールが決まってきております(^^)。ぼちぼち発表していきますよってに、お楽しみに〜♪(ちょっと、今月いっぱいは野暮用で籠もります。集中します。もうちょい待って!!(苦笑))
2012年01月19日
今日はみど姐と久々にライブだ〜!
さてさて、いつものごとくあっという間に本日、1/19(木)到来。
吉祥寺マンダラ2(めっちゃ久しぶり〜!)で、みど姐こと原みどり女史のレコ発ライブ。
私はゲストで呼ばれて、ちょろり弾き語り。
仕事帰りになっちゃう人も多いやろけど、久々の顔あわせですんで、
みなさん是非是非きてね。篠原りか嬢も気合いが入ってるご様子よ。
ほんま、マンダラ2久しぶりやな。スタッフの人みんな元気にしてはるかな。
みなさんも、元気にしたはりますか?
明日はものすご寒そうやけど。今日はお天気なんとか持ちそう。
迷ってる方、顔見せに来てくださると嬉しいです!みど姐も喜んで酒が進むでぇ!(^^)
-------------------------------------------------------
●2012年1月19日(木)吉祥寺mandala2
6時30分開場/7時30分開演
前売り¥2600+ドリンク代/ 当日¥3000+ドリンク代
原みどり(vo.pf)今堀恒雄(g)ホッピー神山(organ.degital president)松本治(tb)
弦カルテット<工藤美穂(vin)加藤由紀子(vln)小原直子(vla)井上とも子(vc)>
☆特別友情出演: 笹野みちる・篠原りか
吉祥寺マンダラ2(めっちゃ久しぶり〜!)で、みど姐こと原みどり女史のレコ発ライブ。
私はゲストで呼ばれて、ちょろり弾き語り。
仕事帰りになっちゃう人も多いやろけど、久々の顔あわせですんで、
みなさん是非是非きてね。篠原りか嬢も気合いが入ってるご様子よ。
ほんま、マンダラ2久しぶりやな。スタッフの人みんな元気にしてはるかな。
みなさんも、元気にしたはりますか?
明日はものすご寒そうやけど。今日はお天気なんとか持ちそう。
迷ってる方、顔見せに来てくださると嬉しいです!みど姐も喜んで酒が進むでぇ!(^^)
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●2012年1月19日(木)吉祥寺mandala2
6時30分開場/7時30分開演
前売り¥2600+ドリンク代/ 当日¥3000+ドリンク代
原みどり(vo.pf)今堀恒雄(g)ホッピー神山(organ.degital president)松本治(tb)
弦カルテット<工藤美穂(vin)加藤由紀子(vln)小原直子(vla)井上とも子(vc)>
☆特別友情出演: 笹野みちる・篠原りか
2012年01月01日
わ!2012年!!
わー、どういうわけか、昨年の12月があまりにも早く過ぎ去って、あっというまに2012年が来てしもてるわ〜!!!
ホンマに去年は色々あり過ぎて、「おめでとう」という言葉が簡単には口にでけへん年明けやけど、それでも、大晦日のN響の第九はものすごく良かった。ちょっと早起きして山の上の神社まで初詣に出かける途中の、元旦の朝焼けは美しかった。ケーブルカーの駅の売店に売ってるきび大福と酒屋さんの酒粕を使った甘酒がめっちゃ美味しかった。みんな、幸せそうに歩いてた。
お寺と神社で手を合わせながら、願い事を探そうとしたけど、具体的に願うべきことの数々があまりにもこんがらがりすぎて言葉にならず、結局、「ありがとうございました。今年もよろしくお願いします。」と、2012年の朝、心をこめて何事かにご挨拶をした。
今年は色々とまた新しいことがやってくるやろう。
何事のおはしますかは知らねども・・・、
嬉しいときも悲しいときも、ありがとう。
また今年も、お世話になります。
2012年、
どうぞよろしくお願いします。
P.S そや!!1/19(木)に、吉祥寺マンダラ2で、「吉祥寺三姉妹」の盟友、原みどり姐の
レコ発ライブにゲスト出演しま〜〜〜す。なんと!篠原りか嬢も出演よ!・・・瞬間吉祥寺三姉妹結成。。。か!!!?(笑)
詳しくは、みど姐のブログを見てね〜。http://haramidori.com/info/index.htm
ホンマに去年は色々あり過ぎて、「おめでとう」という言葉が簡単には口にでけへん年明けやけど、それでも、大晦日のN響の第九はものすごく良かった。ちょっと早起きして山の上の神社まで初詣に出かける途中の、元旦の朝焼けは美しかった。ケーブルカーの駅の売店に売ってるきび大福と酒屋さんの酒粕を使った甘酒がめっちゃ美味しかった。みんな、幸せそうに歩いてた。
お寺と神社で手を合わせながら、願い事を探そうとしたけど、具体的に願うべきことの数々があまりにもこんがらがりすぎて言葉にならず、結局、「ありがとうございました。今年もよろしくお願いします。」と、2012年の朝、心をこめて何事かにご挨拶をした。
今年は色々とまた新しいことがやってくるやろう。
何事のおはしますかは知らねども・・・、
嬉しいときも悲しいときも、ありがとう。
また今年も、お世話になります。
2012年、
どうぞよろしくお願いします。
P.S そや!!1/19(木)に、吉祥寺マンダラ2で、「吉祥寺三姉妹」の盟友、原みどり姐の
レコ発ライブにゲスト出演しま〜〜〜す。なんと!篠原りか嬢も出演よ!・・・瞬間吉祥寺三姉妹結成。。。か!!!?(笑)
詳しくは、みど姐のブログを見てね〜。http://haramidori.com/info/index.htm
2011年11月26日
忘れてた!関パレ・アフターパーティーの映像です〜!
そうそう、11/5の関パレ・アフターパーティーのときの様子が、Youtubeにアップされてます(リンク先の公式ブログには、パレードの様子のレポや写真も満載)。全部で4つに分かれてて、最初のふたつがトーク、あとのふたつが弾き語りです。会場の雰囲気がええ感じで伝わる映像です。すごいリラックスして楽しめた、あたたかいイベントでした。関パレに参加されたみなさん、お疲れ様でした〜!
とりあえず、今年は終了〜!
昨日の名古屋でのセクマイイベント「あるかん」、無事終了にて、とりあえず今年の「お外に出てしゃべったりうたったりする」活動は、ひとまず終了〜!(早いんちゃう?って言われても断固終了です(笑))
いやはや、イベントすごかったよ。お客さんも結構満員やったし、とにもかくにも、学生さん達の若さ、ひたむきさの渦、渦、渦・・・。ライブハウス入った瞬間から「おはようございまーす!」「よろしくおねがいしまーす!」と、通常のライブハウスなんかとは比べものにならない大人数による大合唱(そら、卒業制作で今日だけは学生さん達が全員ライブハウススタッフやってるから当たり前)に虚を突かれ、その眩しさ神々しさに瞬間的に号泣しそうになっていたアタクシでした。
「若くて一生懸命」が束になってキラキラと輝いているのを目の当たりにするだけで涙腺が緩む私ってどーなの?って感じもするけど(笑)、音楽業界にこれから入っていこうとする人達が、セクマイについて、性の多様性について、つまるところダイバーシティの素晴らしさについて学んで、その結果ホントにピュアにその精神に共感した上で、このイベント制作に取り組んでいることが皆の動きからヒシヒシと感じられた。この人達が世の中を作り替えていくのかもしれないわ、と、マジで感動してしもた。いいイベントでした。呼んでくれてありがとう。ギョーカイに入って疲れて汚れてきたら、この日のことを思い出して是非がんばってね!(懇願)
・・・ってところで、今年はひとまず終了です。これからはしばらく沈潜させていただいて、ものすごぉ〜く集中してやらねばいけない個人的な作業に入ります。(ナゾですみません)
いやはや、イベントすごかったよ。お客さんも結構満員やったし、とにもかくにも、学生さん達の若さ、ひたむきさの渦、渦、渦・・・。ライブハウス入った瞬間から「おはようございまーす!」「よろしくおねがいしまーす!」と、通常のライブハウスなんかとは比べものにならない大人数による大合唱(そら、卒業制作で今日だけは学生さん達が全員ライブハウススタッフやってるから当たり前)に虚を突かれ、その眩しさ神々しさに瞬間的に号泣しそうになっていたアタクシでした。
「若くて一生懸命」が束になってキラキラと輝いているのを目の当たりにするだけで涙腺が緩む私ってどーなの?って感じもするけど(笑)、音楽業界にこれから入っていこうとする人達が、セクマイについて、性の多様性について、つまるところダイバーシティの素晴らしさについて学んで、その結果ホントにピュアにその精神に共感した上で、このイベント制作に取り組んでいることが皆の動きからヒシヒシと感じられた。この人達が世の中を作り替えていくのかもしれないわ、と、マジで感動してしもた。いいイベントでした。呼んでくれてありがとう。ギョーカイに入って疲れて汚れてきたら、この日のことを思い出して是非がんばってね!(懇願)
・・・ってところで、今年はひとまず終了です。これからはしばらく沈潜させていただいて、ものすごぉ〜く集中してやらねばいけない個人的な作業に入ります。(ナゾですみません)
2011年10月11日
11月、セクマイ系イベントに2本出演します!
はぁ〜〜〜〜。
スティーブ・ジョブズ、死んじゃったね。悲しいね。
スティーブに敬意を表して、これを機にiPhone4S(4Sって、“for Steve”やと聞いて落涙!)に乗り換えようと思ってソフバンショップに勇んで乗り込んだら、月賦がチャラになるキャンペーンて、iPhoneユーザーだけやったのね。早とちりやったわ。孫さんのツイッターにフツーの3Gケータイでも月賦チャラ企画やってくれませんか?てツイートしたら「やりましょう」て言うてくれへんかな。無理やろな。
・・・気を取り直して。秋といえば「祭り」の季節ですな。
11月に偶然にも2カ所から、セクマイ(セクシャルマイノリティー)系イベントへの出演依頼があり、弾き語りでゲスト出演させていただくことに!!
5月の福岡以来の弾き語り旅行!(笑)嬉しいです♪・・・そして、そのうち一本(名古屋の方ね)は、久しぶりにありちゃんがベース弾いてくれることに!楽しみやわ〜。
一本目は、11/5(土)。
これがなんと、「関西レインボーパレード」という、関西地区(大阪)での大々的なLGBTパレードのアフターイベントに参加するんやけど、トークでご一緒するのが、土肥いつきさんという方。
この方が…すごい。ホンマに早くお会いしたい。色々お話ししてみたい。
私、これ読んでかなり胸を打たれました(涙)↓(後半の方に土肥さんの話が)
http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/arch/tue/40914.html
土肥さん自身のサイトはこちら↓
http://www.ituki-d.net/index.html
ほんで二本目が、11/25(金)の、名古屋での専門学校の卒業制作イベント。
これが・・・なんとも不思議な企画で、普通のエンタメ系専門学校の一学科の卒業制作イベントなんやけど、なぜか「セクマイ応援」企画・・・。
不思議に思った私は、学生さん達の中に当事者でもいるんかな〜と思い、尋ねてみたところ、なんと!当事者は一人もいないのだけど、「学生の中で一人、当事者と関わったことで深くセクマイの問題を考えるようになった者がいて、『セクマイが当たり前に受け入れられないこの社会はおかしい!』と、広く思いを訴えたくなったのが企画の発端」とのこと。
・・・これまた感動してしまった笹野でありました(涙)。
ホンマ世の中、変わってきてますよ。
いろんな人が、それぞれの場所で、それはそれはがんばって生きてんねん。
そこに命の輝きがあんねん。いろいろな花が咲き乱れるお花畑やねん。
そんな色とりどりの輝きを綺麗やな〜って感動しながら、自分も一所懸命いまここを生きてるだけでええやん!生まれて、咲く。咲いて、散る。それ以外に何を他に必要とするねん??・・・て。
自分の内に咲く花も、自分の外に咲く花も、花は花。花を愛でよう、美しきかな!
・・・そんな気持ちで秋のレインボーな2本の催しに参加させていただこうと思っております。
というわけで、11月の2本のライブ、お時間あったらぜひ見に来てね。もちろん、当事者の方もそうでないかたも、誰でもウェルカムですよ♪
魂にビビっと来る方、大歓迎!!(笑)
●11/5(土)関西レインボーパレード 2011公式アフターパーティー
場所:大阪キタ do with cafe
時間:19:00〜05:00 (受付19:00)(※笹野出演時間は20時前後から予定)
料金:¥3000/1D
¥2500/1D(with FLYER )
¥2000/1D(with 関パレ特製シール・数量限定)
※関パレ特製シールは出発・到着地でのカンパにてお渡しします。
イベント詳細は関パレ公式サイトのこちらをどうぞ!
●11/25(金)名古屋 あるかん‐SEXUAL MINORITY EVENT‐
場所:CLUB SARU (名古屋市中区金山3-5-23 電話:052-321-361)
Open 18:30/Start 19:00/Close 21:00
入場料:前売り券 2000円/当日 2500円
(どちらも別途ドリンク代 500円がかかります)
※前売りは予約フォームからお願いします。
↑私は、弾き語りwithありちゃんベースサポートと、当事者達による
トークショーへの出演予定。割とのっけから出る予定なのでお早めにお越しくださいね!
(当日になり多少の出番の変更あるかもしれません!!)
スティーブ・ジョブズ、死んじゃったね。悲しいね。
スティーブに敬意を表して、これを機にiPhone4S(4Sって、“for Steve”やと聞いて落涙!)に乗り換えようと思ってソフバンショップに勇んで乗り込んだら、月賦がチャラになるキャンペーンて、iPhoneユーザーだけやったのね。早とちりやったわ。孫さんのツイッターにフツーの3Gケータイでも月賦チャラ企画やってくれませんか?てツイートしたら「やりましょう」て言うてくれへんかな。無理やろな。
・・・気を取り直して。秋といえば「祭り」の季節ですな。
11月に偶然にも2カ所から、セクマイ(セクシャルマイノリティー)系イベントへの出演依頼があり、弾き語りでゲスト出演させていただくことに!!
5月の福岡以来の弾き語り旅行!(笑)嬉しいです♪・・・そして、そのうち一本(名古屋の方ね)は、久しぶりにありちゃんがベース弾いてくれることに!楽しみやわ〜。
一本目は、11/5(土)。
これがなんと、「関西レインボーパレード」という、関西地区(大阪)での大々的なLGBTパレードのアフターイベントに参加するんやけど、トークでご一緒するのが、土肥いつきさんという方。
この方が…すごい。ホンマに早くお会いしたい。色々お話ししてみたい。
私、これ読んでかなり胸を打たれました(涙)↓(後半の方に土肥さんの話が)
http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/arch/tue/40914.html
土肥さん自身のサイトはこちら↓
http://www.ituki-d.net/index.html
ほんで二本目が、11/25(金)の、名古屋での専門学校の卒業制作イベント。
これが・・・なんとも不思議な企画で、普通のエンタメ系専門学校の一学科の卒業制作イベントなんやけど、なぜか「セクマイ応援」企画・・・。
不思議に思った私は、学生さん達の中に当事者でもいるんかな〜と思い、尋ねてみたところ、なんと!当事者は一人もいないのだけど、「学生の中で一人、当事者と関わったことで深くセクマイの問題を考えるようになった者がいて、『セクマイが当たり前に受け入れられないこの社会はおかしい!』と、広く思いを訴えたくなったのが企画の発端」とのこと。
・・・これまた感動してしまった笹野でありました(涙)。
ホンマ世の中、変わってきてますよ。
いろんな人が、それぞれの場所で、それはそれはがんばって生きてんねん。
そこに命の輝きがあんねん。いろいろな花が咲き乱れるお花畑やねん。
そんな色とりどりの輝きを綺麗やな〜って感動しながら、自分も一所懸命いまここを生きてるだけでええやん!生まれて、咲く。咲いて、散る。それ以外に何を他に必要とするねん??・・・て。
自分の内に咲く花も、自分の外に咲く花も、花は花。花を愛でよう、美しきかな!
・・・そんな気持ちで秋のレインボーな2本の催しに参加させていただこうと思っております。
というわけで、11月の2本のライブ、お時間あったらぜひ見に来てね。もちろん、当事者の方もそうでないかたも、誰でもウェルカムですよ♪
魂にビビっと来る方、大歓迎!!(笑)
●11/5(土)関西レインボーパレード 2011公式アフターパーティー
場所:大阪キタ do with cafe
時間:19:00〜05:00 (受付19:00)(※笹野出演時間は20時前後から予定)
料金:¥3000/1D
¥2500/1D(with FLYER )
¥2000/1D(with 関パレ特製シール・数量限定)
※関パレ特製シールは出発・到着地でのカンパにてお渡しします。
イベント詳細は関パレ公式サイトのこちらをどうぞ!
●11/25(金)名古屋 あるかん‐SEXUAL MINORITY EVENT‐
場所:CLUB SARU (名古屋市中区金山3-5-23 電話:052-321-361)
Open 18:30/Start 19:00/Close 21:00
入場料:前売り券 2000円/当日 2500円
(どちらも別途ドリンク代 500円がかかります)
※前売りは予約フォームからお願いします。
↑私は、弾き語りwithありちゃんベースサポートと、当事者達による
トークショーへの出演予定。割とのっけから出る予定なのでお早めにお越しくださいね!
(当日になり多少の出番の変更あるかもしれません!!)
2011年09月12日
9.11と、トランジション・タウン
昨日は、震災からちょうど半年の9.11やった。同時に、NYのあの日からちょうど10年。どちらの記憶も生々しく頭を去来する一日。東京では新宿とか経産省のまわりとかで、かなり大規模の脱原発デモが開催されててんけど、私は一日家にいて、ちょっと勉強せんとあかん本を朝から晩まで寝っ転がりながら読んでた。ちょくちょく気にはしてたんやけど、新宿は一万人規模のものすごい盛り上がりやったらしい。しかも、警察がかなり横暴やったみたいで、理不尽ともいえる逮捕が相次いだ様子。別に、デモ隊の様子は私が参加した高円寺のデモのときと変わりない感じで、50年代の反核デモのときや、60年代の安保闘争のときみたいな「左翼過激派」の扇動とか全くあらへん。明確なイデオロギーをもって社会転覆を計画してるなんてノリじゃなく、ほんまに3.11と原発事故のせいで、否応なく現実に目覚めた人たちの集合体ができあがってるだけ。にも関わらず、いわゆる“体制側”の空気がピリピリしはじめてる。まあつまり、共産主義や資本主義とかの「頭で考えた(妄想した)主義=イデオロギー」でなく、地球や自然に感謝して身の丈でリアルに暮らせる幸せな社会を作っていきたい!と思った人たちが、一人一人目覚め始めただけ。そういう力があれよあれよと盛り上がってきて、全く新しい、本物の過渡期が始まってるということなんやろう。
「幸福=富や自由の追求」という妄想に追い立てられたあげく、お金に振り回されたり権力に脅かされたりする社会に暮らすのはもうこりごり、と思ったとして、じゃあ、実際に、何をしていけば我々はホンマに幸せな社会に住めるんやろう?ということになるんやけど、これが、しらんまに、あっちこっちで、それこそものすご地味〜に地道に、草の根のごとく始まってきてる動きがある。それこそ私も、知識としてはぼんやり知ってたけど、実際にその場に足を運び始めたのはここ一ヶ月ぐらいやねんけどね。原発の問題から始まって、自然にそこにアクセスしてきてる人も増えてるんちゃうかな。
それはどういう動きかというと、「トランジション・タウン」というもの。Transition、ってつまり、「移行」。間違ったらあかんのは、どっかの別天地にユートピアをドカーンと作るんやなくて、自分らが住んでる町で、そこの場で、じわじわとその在り方へと「移行」させていくっちゅーこと。
トランジションタウンのちゃんとした説明は、「NPO法人トランジション・ジャパン」に詳しいけど、ようするに、私が思いきって自己流に説明しなおすと(これがかなり意訳しがちやけど(苦笑))、ようは原発や石油とかにガンガン依存したエネルギー浪費型の社会なんちゅーもんは、どっちにしてもいずれ必ず「ムリ」が来るし、自分らも結局その中で幸せかっちゅーと、どうも「ムリ」してきたし(経済成長の頭打ちの現実&日本の自殺率の上昇や鬱病の増え方見て!)、結局、「原発」に象徴される中央集権型・エネルギーじゃぶじゃぶ経済成長至上主義の結果、「右肩あがりで地球も生命もボロボロ」になる前に、ホンマの幸せな社会や生き方ってなんやったっけ?というのを虚心坦懐に見つめ直してみたら、必然的に、「ムリすんのは疲れるわ」と気づいて、身の丈重視=地域重視になって、自分の町で有機野菜作って、自分らで食べたいな、ってなったり、エネルギーも自分らの町で自給して、自分らで使えるぶんだけでなるべく生活したらええやん、ってなって「地域分散型再生可能エネルギー」とか考え始めたり、なんか、みんなでゆる〜く、いっしょに生活する方が楽しいんちゃうかいな、とかなっていって、「コレクティブ・ハウス」とか「長屋暮らし」とかになったり、結局、「お金」があるから、お金に縛られたり借金したり投機に走ったりとかややこしいし、いっそ「お金」やめてみよか、ってなって、地域でしか流通しない「地域通貨」(完全に、「通貨」すらない、赤字も全然OKな「通帳型」という画期的なものさえ始まってる!藤野の地域通貨、「萬」参照。)ってのを作ったりとか・・・結局、「右肩あがりから、ゆるぅ〜く降りていく」ということを、自分らのリアルな生活レベルで色々試行錯誤して実践していったら、必然的にそれが「持続可能な社会」になるんちゃうの?ってことなんやと理解してんねんけど。そういう生き方って、「もっともっと」じゃなくて「足るを知る」っていうのがベースにあるんやろけど、結果的にその方が、なんぼか生活が創造的でワクワクすることが多くて、地域のいろんな人ともコミュニケーションが生まれて、あったかい空気になるんやな!ってことを、実践しはじめてる人たちが、その「良さ」にどんどん気づきだして発信してきてくれてんのよね。
私が実際に、その「良さ」を感じたのは、ついこないだ、地域のいわゆる「市民派」の市会議員さんが開催した勉強会みたいなもんに初めて参加したときやった。開催場所は、その人の事務所というか集会所で、10人以上入ったらめいっぱい、っていう、それはそれはこじんまりとした場所。そこに、地域のトランジション・タウンの代表やってる人をゲストで招いて、「トランジション・タウン」ってもんをみんなで勉強しよう!というミニ講演会が開かれたっちゅーわけ。
実は、日本のトランジションのメッカな感じになってる、藤野の「ひかり祭り」というのにちょっと前にいったことはあったけど、地域のトランジションの集まりに顔を出したんは初めて。市会議員さんの事務所なんてもんに顔を出したんも初めてやし(親が国会議員をやってたころは、否応なく出入りせざるをえんかったけど(爆))、いったい、そこで話されるテーマとか雰囲気とかって、どんな感じなんやろう?と、ワクワクして見に行ったわけ。
んで、ホンマに想像を絶する驚きと感動があったんよこれが。
トランジションに取り組んでるゲストスピーカーに呼ばれたんは、おっちゃん二人。一人は外国人のおっちゃん、一人は日本人。
時間にちょっとだけ遅れて、引き戸のガラス戸を開けて入ってみると、すでに狭い部屋の大きな机のまわりにぐるりと椅子がおいてあり、ほぼ人いっぱい。机の上にはいろんなチラシがいっぱいおいてあって、議員さんが(この人が、まったく議員ぽくない雰囲気で、どっちかというと、かなり“空気”な感じの人)イソイソと動いて、コーヒーや麦茶や、お茶菓子を運んでくれてるとこやった。部屋の中は一応クーラーがあるけど、たぶん全然効いてなくて、めっちゃ暑い。団扇がいっぱいあって、一人一人に配られて、それぞれ顔の前でパタパタしてる。
参加メンバーは、もともとトランジション・タウンに参加しているメンバー数人と、議員さんを(たぶん古くから)応援してるおばちゃん達数人。そして、ゲストスピーカーの外国人のおっちゃんは何をしてるかというと、用意してきたパワーポイントのレジュメがプロジェクターにうまくうつらなくて、スタッフみたいな人とあーだこーだパソコンいじってずっと奥の一段あがった部屋でがんばってる。その間に、なんとなくヌルっともう一人のおっちゃんの話がはじまった。
このおっちゃんの話ぶりも、ものすごく優しい雰囲気でわかりやすい。そうこうしてるうちに、無事にプロジェクターも再生されて、メインの外国人のおっちゃんの話がはじまった。今日の話は、トランジション・タウンというものを、ひとつの「料理」に見立てて、それをおいしく作るための、「60の材料」という切り口で、トランジション・タウンを成り立たせるために不可欠な要素をザザーっと60個、羅列的に紹介する、というものだった。
・・・が、始まってみると、この外国人のおっちゃんの日本語が、かなり訥々としていて(日本に住んでる年数はかなり長いみたいやねんけど)、なかなかサクサクと前には進まない。進まないのだけれど、けっしてイヤな感じではなく、とってもマイペースで、ときどき天然に「おちゃめ」で、たまに漢字が読めないと、詰まって「・・・」となるけど、日本人のおっちゃんがフォローを入れて次に進む、というほほえましさ。そして、次第に、ある「現象」が起こってきたのだった。
おっちゃん二人の醸し出すユルさも手伝ったのかもしれんけど、一部のおばちゃん達が、思いっきり「私語」を始めた。一方、スピーカーのおっちゃんが話している途中でも、おかまいなく、あいづち的なしゃべりや質問を投げかけるおばちゃんも出てくる。一人のおばちゃんが持論を展開しはじめると、それに呼応して、別のおばちゃん達も生活上の実感を語り始める。
その間、スピーカーのおっちゃん達ふたりは、なんの困惑の表情も浮かべず、じっとそのおばちゃん達の話に耳を傾けている。そして、どんどん「60の材料」から話はそれていき、ちょっと専門的な領域に質問がおよぶと、その外国人のおっちゃんは、そこに詳しい若いおにいちゃんに話をふる。そうすると、それまでずっと寡黙に下を向いていたそのおにいちゃんが、少し謙遜しながら、とっても理路整然とわかりやすい話をはじめる。すると今度は、その説明の中の「一単語」にひっかかったおばちゃんが、やおら異議を唱え出し、その「一単語」(これはいわゆる「差別用語」ってわけでもなく、むしろ、差別用語を見直すところで使われ始めた単語であるのだが)を全身で否定にかかる。もはやそれはその日の講演の本筋とはまた別の領域の話。その間も、外国人のスピーカーのおっちゃんは自然体で話を聞いている。説明をふられたおにいちゃんも、なんら感情的になることなく、受け入れて話を終える。
ようやく話が「トランジションの材料」に戻り、レジュメが一つ進む。進むとそこでまた、応援団のおばちゃん(昔から反原発運動に関わってきたはったらしい)が、突然、「原発がなくても電気は足りる、ということを、客観的に世の中にきちっと説明していってほしい!」、などと言い出して、それに対して「そういうのなら、ユーチューブで今いろいろありますよ」などと対応すると、「私もそれぐらいは知ってますけど、世間は知らないでしょ?」などという話になって、またまたトランジションの話からどんどんずれていっているように思われる・・・が、外国人のおっちゃんは、またフムフムと、聞いている。
そして、よくよく観察してみると、その場にいる男達は、ゲストスピーカーの二人を含め総勢4名だけで、あとは全員、女。その中で、話をものすごくややこしくしているのは、明らかにおばちゃん達で、一応、ファシリテーターであるところの議員さん(この人も女性!)が、何度か「あのぉ、今日はトランジション・タウンの勉強会で・・・」と、軌道修正を試みようとしても、おばちゃん達はどこ吹く風で、「自分の知っていること」に基づいた、講演の流れとは直接関係のない話を繰り出しまくっているという状態。それがほとんど最後まで続き、結局、「トランジション・タウンの60の材料」のうち、28ぐらいしか進まなくて時間切れとなってしまった。はっきりいって、勉強会としてはワヤクチャのむちゃくちゃ。ほとんど、おばちゃん達による「学級崩壊」であった。議員さんも「まあ、なんとか半分まできたってことで、残りの半分は、次の機会でってことで、よろしくお願いします」と、その場をユルく和やかにしめて、終わった。・・・私は、最後はほとんど感動の渦に包まれていた。
なぜかというと、結局最後までそこに居合わせた男達から、なんら「抑圧的」な言動が発せられなかったからだ。ゲストスピーカー二人からはもちろん、それ以外の二人の男性参加者も、最初っから最後まで、徹底的に「受容的」な空気しか発していない。おばちゃん達だけがのびのびと逸脱を繰り返し、最後にはそのうちの一人が「自分の庭でゴーヤが採れすぎたから、みんな持ってかえってね!」と、袋にがっさり入ったゴーヤがドンと机に出され、皆に配られた。
・・・私は、トランジション・タウンをやっていこう、ということは、こういうことなんやな、というのが、どんな説明にもまして、完全に肌でわかった。
中央集権的でなく、目的指向的でなく、急がず、多様性を認めて、地域の自治と自律を大事にして、ということのひとつのプロセスが、目の当たりにそこにあった。なんとなく、次世代的でカッコヨサソウな響きすらしはじめている「トランジション」的なことの実際は、こういうことなんや、こういうある意味での「不器用さ」みたいなものを、「おもしろい!」と、受け入れ続けていける感性というものこそが、トランジションの基本なんやな、というのを理解できたような気がした。
ごく身近な近所には、話のきけへんおばちゃんもいれば、抑圧的なおっちゃんや、年寄りもわからずやも、何も物を知らん若者もいるかもしれん。それをお互いに排除せず、あるがままに受容しつつ、その中でゆっくりと自然に次の動きが生まれていくのを楽しめる感覚。これは、なかなか既存の社会の中ではありえへんかったもんやと思う。時間に追われて、あせって、結果次第で生きるか死ぬかみたいなところに巻き込まれて、数の論理でごり押しして恫喝して黙らせてきたような社会とはほど遠い在り方。そういうのんにほとほと疲れ果てて、別の生き方を完全に指向してる男達もいるんや、というのも実感できたし、何はともあれ、女達が一番元気やったのも、うれしかったしね。
・・・あ、それで、トランジション・タウンのひとつの目玉でもある「地域通貨」ってものについても、ものすごくおもしろい気づきがあってんけど、長くなりすぎたんで、その話はまた次にでも。
「幸福=富や自由の追求」という妄想に追い立てられたあげく、お金に振り回されたり権力に脅かされたりする社会に暮らすのはもうこりごり、と思ったとして、じゃあ、実際に、何をしていけば我々はホンマに幸せな社会に住めるんやろう?ということになるんやけど、これが、しらんまに、あっちこっちで、それこそものすご地味〜に地道に、草の根のごとく始まってきてる動きがある。それこそ私も、知識としてはぼんやり知ってたけど、実際にその場に足を運び始めたのはここ一ヶ月ぐらいやねんけどね。原発の問題から始まって、自然にそこにアクセスしてきてる人も増えてるんちゃうかな。
それはどういう動きかというと、「トランジション・タウン」というもの。Transition、ってつまり、「移行」。間違ったらあかんのは、どっかの別天地にユートピアをドカーンと作るんやなくて、自分らが住んでる町で、そこの場で、じわじわとその在り方へと「移行」させていくっちゅーこと。
トランジションタウンのちゃんとした説明は、「NPO法人トランジション・ジャパン」に詳しいけど、ようするに、私が思いきって自己流に説明しなおすと(これがかなり意訳しがちやけど(苦笑))、ようは原発や石油とかにガンガン依存したエネルギー浪費型の社会なんちゅーもんは、どっちにしてもいずれ必ず「ムリ」が来るし、自分らも結局その中で幸せかっちゅーと、どうも「ムリ」してきたし(経済成長の頭打ちの現実&日本の自殺率の上昇や鬱病の増え方見て!)、結局、「原発」に象徴される中央集権型・エネルギーじゃぶじゃぶ経済成長至上主義の結果、「右肩あがりで地球も生命もボロボロ」になる前に、ホンマの幸せな社会や生き方ってなんやったっけ?というのを虚心坦懐に見つめ直してみたら、必然的に、「ムリすんのは疲れるわ」と気づいて、身の丈重視=地域重視になって、自分の町で有機野菜作って、自分らで食べたいな、ってなったり、エネルギーも自分らの町で自給して、自分らで使えるぶんだけでなるべく生活したらええやん、ってなって「地域分散型再生可能エネルギー」とか考え始めたり、なんか、みんなでゆる〜く、いっしょに生活する方が楽しいんちゃうかいな、とかなっていって、「コレクティブ・ハウス」とか「長屋暮らし」とかになったり、結局、「お金」があるから、お金に縛られたり借金したり投機に走ったりとかややこしいし、いっそ「お金」やめてみよか、ってなって、地域でしか流通しない「地域通貨」(完全に、「通貨」すらない、赤字も全然OKな「通帳型」という画期的なものさえ始まってる!藤野の地域通貨、「萬」参照。)ってのを作ったりとか・・・結局、「右肩あがりから、ゆるぅ〜く降りていく」ということを、自分らのリアルな生活レベルで色々試行錯誤して実践していったら、必然的にそれが「持続可能な社会」になるんちゃうの?ってことなんやと理解してんねんけど。そういう生き方って、「もっともっと」じゃなくて「足るを知る」っていうのがベースにあるんやろけど、結果的にその方が、なんぼか生活が創造的でワクワクすることが多くて、地域のいろんな人ともコミュニケーションが生まれて、あったかい空気になるんやな!ってことを、実践しはじめてる人たちが、その「良さ」にどんどん気づきだして発信してきてくれてんのよね。
私が実際に、その「良さ」を感じたのは、ついこないだ、地域のいわゆる「市民派」の市会議員さんが開催した勉強会みたいなもんに初めて参加したときやった。開催場所は、その人の事務所というか集会所で、10人以上入ったらめいっぱい、っていう、それはそれはこじんまりとした場所。そこに、地域のトランジション・タウンの代表やってる人をゲストで招いて、「トランジション・タウン」ってもんをみんなで勉強しよう!というミニ講演会が開かれたっちゅーわけ。
実は、日本のトランジションのメッカな感じになってる、藤野の「ひかり祭り」というのにちょっと前にいったことはあったけど、地域のトランジションの集まりに顔を出したんは初めて。市会議員さんの事務所なんてもんに顔を出したんも初めてやし(親が国会議員をやってたころは、否応なく出入りせざるをえんかったけど(爆))、いったい、そこで話されるテーマとか雰囲気とかって、どんな感じなんやろう?と、ワクワクして見に行ったわけ。
んで、ホンマに想像を絶する驚きと感動があったんよこれが。
トランジションに取り組んでるゲストスピーカーに呼ばれたんは、おっちゃん二人。一人は外国人のおっちゃん、一人は日本人。
時間にちょっとだけ遅れて、引き戸のガラス戸を開けて入ってみると、すでに狭い部屋の大きな机のまわりにぐるりと椅子がおいてあり、ほぼ人いっぱい。机の上にはいろんなチラシがいっぱいおいてあって、議員さんが(この人が、まったく議員ぽくない雰囲気で、どっちかというと、かなり“空気”な感じの人)イソイソと動いて、コーヒーや麦茶や、お茶菓子を運んでくれてるとこやった。部屋の中は一応クーラーがあるけど、たぶん全然効いてなくて、めっちゃ暑い。団扇がいっぱいあって、一人一人に配られて、それぞれ顔の前でパタパタしてる。
参加メンバーは、もともとトランジション・タウンに参加しているメンバー数人と、議員さんを(たぶん古くから)応援してるおばちゃん達数人。そして、ゲストスピーカーの外国人のおっちゃんは何をしてるかというと、用意してきたパワーポイントのレジュメがプロジェクターにうまくうつらなくて、スタッフみたいな人とあーだこーだパソコンいじってずっと奥の一段あがった部屋でがんばってる。その間に、なんとなくヌルっともう一人のおっちゃんの話がはじまった。
このおっちゃんの話ぶりも、ものすごく優しい雰囲気でわかりやすい。そうこうしてるうちに、無事にプロジェクターも再生されて、メインの外国人のおっちゃんの話がはじまった。今日の話は、トランジション・タウンというものを、ひとつの「料理」に見立てて、それをおいしく作るための、「60の材料」という切り口で、トランジション・タウンを成り立たせるために不可欠な要素をザザーっと60個、羅列的に紹介する、というものだった。
・・・が、始まってみると、この外国人のおっちゃんの日本語が、かなり訥々としていて(日本に住んでる年数はかなり長いみたいやねんけど)、なかなかサクサクと前には進まない。進まないのだけれど、けっしてイヤな感じではなく、とってもマイペースで、ときどき天然に「おちゃめ」で、たまに漢字が読めないと、詰まって「・・・」となるけど、日本人のおっちゃんがフォローを入れて次に進む、というほほえましさ。そして、次第に、ある「現象」が起こってきたのだった。
おっちゃん二人の醸し出すユルさも手伝ったのかもしれんけど、一部のおばちゃん達が、思いっきり「私語」を始めた。一方、スピーカーのおっちゃんが話している途中でも、おかまいなく、あいづち的なしゃべりや質問を投げかけるおばちゃんも出てくる。一人のおばちゃんが持論を展開しはじめると、それに呼応して、別のおばちゃん達も生活上の実感を語り始める。
その間、スピーカーのおっちゃん達ふたりは、なんの困惑の表情も浮かべず、じっとそのおばちゃん達の話に耳を傾けている。そして、どんどん「60の材料」から話はそれていき、ちょっと専門的な領域に質問がおよぶと、その外国人のおっちゃんは、そこに詳しい若いおにいちゃんに話をふる。そうすると、それまでずっと寡黙に下を向いていたそのおにいちゃんが、少し謙遜しながら、とっても理路整然とわかりやすい話をはじめる。すると今度は、その説明の中の「一単語」にひっかかったおばちゃんが、やおら異議を唱え出し、その「一単語」(これはいわゆる「差別用語」ってわけでもなく、むしろ、差別用語を見直すところで使われ始めた単語であるのだが)を全身で否定にかかる。もはやそれはその日の講演の本筋とはまた別の領域の話。その間も、外国人のスピーカーのおっちゃんは自然体で話を聞いている。説明をふられたおにいちゃんも、なんら感情的になることなく、受け入れて話を終える。
ようやく話が「トランジションの材料」に戻り、レジュメが一つ進む。進むとそこでまた、応援団のおばちゃん(昔から反原発運動に関わってきたはったらしい)が、突然、「原発がなくても電気は足りる、ということを、客観的に世の中にきちっと説明していってほしい!」、などと言い出して、それに対して「そういうのなら、ユーチューブで今いろいろありますよ」などと対応すると、「私もそれぐらいは知ってますけど、世間は知らないでしょ?」などという話になって、またまたトランジションの話からどんどんずれていっているように思われる・・・が、外国人のおっちゃんは、またフムフムと、聞いている。
そして、よくよく観察してみると、その場にいる男達は、ゲストスピーカーの二人を含め総勢4名だけで、あとは全員、女。その中で、話をものすごくややこしくしているのは、明らかにおばちゃん達で、一応、ファシリテーターであるところの議員さん(この人も女性!)が、何度か「あのぉ、今日はトランジション・タウンの勉強会で・・・」と、軌道修正を試みようとしても、おばちゃん達はどこ吹く風で、「自分の知っていること」に基づいた、講演の流れとは直接関係のない話を繰り出しまくっているという状態。それがほとんど最後まで続き、結局、「トランジション・タウンの60の材料」のうち、28ぐらいしか進まなくて時間切れとなってしまった。はっきりいって、勉強会としてはワヤクチャのむちゃくちゃ。ほとんど、おばちゃん達による「学級崩壊」であった。議員さんも「まあ、なんとか半分まできたってことで、残りの半分は、次の機会でってことで、よろしくお願いします」と、その場をユルく和やかにしめて、終わった。・・・私は、最後はほとんど感動の渦に包まれていた。
なぜかというと、結局最後までそこに居合わせた男達から、なんら「抑圧的」な言動が発せられなかったからだ。ゲストスピーカー二人からはもちろん、それ以外の二人の男性参加者も、最初っから最後まで、徹底的に「受容的」な空気しか発していない。おばちゃん達だけがのびのびと逸脱を繰り返し、最後にはそのうちの一人が「自分の庭でゴーヤが採れすぎたから、みんな持ってかえってね!」と、袋にがっさり入ったゴーヤがドンと机に出され、皆に配られた。
・・・私は、トランジション・タウンをやっていこう、ということは、こういうことなんやな、というのが、どんな説明にもまして、完全に肌でわかった。
中央集権的でなく、目的指向的でなく、急がず、多様性を認めて、地域の自治と自律を大事にして、ということのひとつのプロセスが、目の当たりにそこにあった。なんとなく、次世代的でカッコヨサソウな響きすらしはじめている「トランジション」的なことの実際は、こういうことなんや、こういうある意味での「不器用さ」みたいなものを、「おもしろい!」と、受け入れ続けていける感性というものこそが、トランジションの基本なんやな、というのを理解できたような気がした。
ごく身近な近所には、話のきけへんおばちゃんもいれば、抑圧的なおっちゃんや、年寄りもわからずやも、何も物を知らん若者もいるかもしれん。それをお互いに排除せず、あるがままに受容しつつ、その中でゆっくりと自然に次の動きが生まれていくのを楽しめる感覚。これは、なかなか既存の社会の中ではありえへんかったもんやと思う。時間に追われて、あせって、結果次第で生きるか死ぬかみたいなところに巻き込まれて、数の論理でごり押しして恫喝して黙らせてきたような社会とはほど遠い在り方。そういうのんにほとほと疲れ果てて、別の生き方を完全に指向してる男達もいるんや、というのも実感できたし、何はともあれ、女達が一番元気やったのも、うれしかったしね。
・・・あ、それで、トランジション・タウンのひとつの目玉でもある「地域通貨」ってものについても、ものすごくおもしろい気づきがあってんけど、長くなりすぎたんで、その話はまた次にでも。
2011年08月23日
2011年08月10日
ちょっとご無沙汰してたけど、「セシウムさん」と「大文字」!!これは書かずにはおれんな!
だいぶ、ご無沙汰してしもたわぁ。まあ、ちょっとこの夏は、集中せなあかんことがあったりして(ようやく、それはついこないだ一段落してんけど)、ブログで考えを表現するっちゅーことへのエネルギーがそがれてたんは事実やなあ。すんません!・・・ま、でもその間、なんも考えてなかったわけではなくて、東北の被災地へボランティアに行ってきたり、いろんな脱原発系のイベントとかにも参加しててんけどね。実は、色々考えさせられ続けてる毎日でした。
そやけど、実際問題、2カ月ぐらい前とは比べもんにならんほど、全国的に「脱原発」への意識が高まってきてて、正直、感動してるとこもある。ていうより、今までなら絶対に明るみに出ることもなかったような、組織の中や人々の心の中に巣食い続けた「澱のようなズルさやゴマカシやナメた気持ち」が次から次へとバレにバレて、さすがにみんな目が覚めはじめた、というのが実情なんちゃうやろか。その「汚さ」を非難したくなる衝動と同時に、確実に自分の中に巣食っていた同質の「汚さ」がお陰さまであぶり出されて、人知れず悔いるような気持ち。そういうのが「脱原発」へもつながっていってるんちゃうのかなぁ、と思う。
たとえば、某テレビ局の「セシウムさん」のテロップ問題とかさ、ああ…このフザケたノリを悪びれもせずやっちゃえる感覚って、音楽業界の中でも当たり前にあったなぁと、正直、真っ先に思った。思いだした。
平たくいえば、「一番世の中で触れてはヤバいネタ」というのを、いつも敏感に感じ取って茶化す、という文化。もっと簡単にいえば、「深刻なもの」を「冷やかして笑う」という徹底したセンス。もっとも、そこに「愛」があれば、たちまちその精神は人を生かす「ユーモア」になりえるんやろけど、それはあくまで「当事者」から生み出されるユーモアやんか。実情はそんなええもんではなくて、単に、すべてのものが「他人事」に感じられるからこそ垂れ流せる「虚しいセンス」やねんな。そういう「虚しいセンス」を披露することによって、その集団への帰属意識を高めようとする、これまた虚しい営みなんやけど・・・まあ、私もようそういう「場」で笑ってましたわ。ホンマに。。。
そんで、さすがに3・11以降って、そういう「他人事感覚」が日本中から払拭されて、「当事者意識」が勃発しまくってるときに、久々に能天気な「他人事感覚」を突きつけられたために起こった自我の罪悪感みたいなもんが、「セシウムさん」事件への世の中の反応の理由のひとつやったような気がする。私も、胸の奥がキュって痛かったもん、あれ最初に見たとき。その痛みは確実に「ひどい言葉に胸を痛めた」というものとは少し違って、「あ、このノリ・・・私もこれに関係してた!!」という、苦しいデジャブみたいなもんやった。
そしてそして、さらに・・・これは「京都人」として、あれこれ感じずにはおられん事件やったし書くわな。
京都の「五山送り火薪騒動」。
この事件で、まず何よりも押さえとかなあかんわ!!と思ったことは、間違っても、京都人がブツクサゆうてきた「文句」と、「『脱原発』の意思表明」とを同一視するようなことがあったらあかん、ということ。「放射能が怖い」という感覚は、当たり前の感覚やし、「放射能ってやっぱり怖いってことがわかったから、原発はイヤや!」という感覚は、真っ当やと思う。そやけど、よう考えてみてほしい。たとえば、「琵琶湖に放射能の灰が降ってきたらどないしてくれはんの!?水飲まれへんようになるやないの!」と、文句つけてきた京都人が、果たして、もんじゅの廃止や美浜原発の即時停止を真剣に訴えていたやろか、と。
・・・推測でものいうのんもアレやけど、たぶん、「脱原発」という意識をしっかりもった人なんて、その中にはほとんどおらんかったんちゃうやろかと思う。ようは、ただただ「心配」に支配されてただけの人達、やったんちゃうやろか。まあ、政府の言うことも東電や九電のいうこともウソばっかり、という状況の中では、何がなんでも「心配」でしょうがない、という人々の気持ちも責められへんというのは、確かにあるよ。
ただ、今回のことは、私も京都人として自戒を込めて言う権利があるかなぁ、と思うからあえて言うけど、「ああ、京都が言いそうなことや」ていうのと、そういうクレームちょっとつけられただけで、取りやめにしてしもたり、それに対してまたクレームがきて、またクルっとひっくりかえしたりするとことかも、「ああ、京都がやりそうなことや」と、正直いうて思った。最近よく言われる「原子力ムラ」やないけど、隠然と「京都ムラ」っちゅーもんがあって、「京都ムラ」の利権を脅かすものに対しては、したたかに激しく抵抗する。「ウチ」と「ヨソ」を厳然と見分けて、ウチを守るために、ヨソさんに対する合理性に基づかない(だって、薪は岩手の陸前高田ので、放射能検査してもシロやてわかった上やったんやで!)嫌悪感というのを色々な面で隠し持ってるのを感じるし、ウチの「空気」ばっかり読んでるし、ちょっとでもヨソさんがウチに入ろうとするならば、まずは「空気」を読むことを強要するっちゅーところがあるように思う。そういうので「伝統」を守ってきた、という自負があるから、話がややこしいねんけど。
でまた、それが同時に「反権力の文化」みたいなもんとして作用するのも京都のおもろいとこで、京大の原子炉実験所に小出先生みたいな人がいてられるのも、そういう「京都の反権力文化」の賜物とも言えるわけ。小出先生自身もそんなことインタビューで答えたはったで。たぶん「送り火で陸前高田の薪つこたらどーですか?」と持ちかけられてその気になった保存会のおっちゃんらの中にも、そういう反骨な人がおったんちゃうかなぁ。「国もモタモタしてるばっかりでアカンし、ウチの五山の送り火でしっかり供養さしてもらいますわ!」と。そやけど、意見調整の段階で、反対意見が激しくぶつかり合ったり明確なビジョンに基づく合理的な議論がきっちりなされた結果・・・ということではなく、京都的な悪習「空気の擦り合わせ」によって、結局断念してしもたんちゃうか、と。(ほんでもその後の全国からのクレームのおかげで、また空気が変わってんけどね・・・)
つまり、こういう風に京都の要素って、めちゃくちゃカッコええもんと、めちゃくちゃカッコ悪いもんが、激しく絡まりあってて、今回の事件はまさに、そういう京都の複雑な面が、混乱しながら絡まりまくってもっともザンネンな結果になってもた、という気がしてならんねん。そういう意味でも、これまた「隠されていた問題点」がお陰さまであらわになったことで、今後の京都人の生き方を考える上での大きな材料にしていかんとアカン!と思う。いままでみたいに、単純に「ウチの空気」だけ読んでたらええ時代は絶対終わったんやから。「ウチの空気」ではなくて、「真実」が顕わになってきたんやから、3.11以前のようにはもうのらりくらりでけへんのよ、向き合わんと!・・・と、ほんまに自戒を込めて、思う。
ほんでやっぱり、京都在住の京都人は、関電に対する脱原発運動をもっとガンガンにやってほしいわぁ。拝観税を突っぱねたり、鴨川に架けようとしてたフランス橋を突っぱねたりしたときみたいに、関電の原発もしたたかに激しく突っぱねていったらカッコええと思うねんけど。それで、京都らしい小規模分散型の自然エネルギーの在り方とかを議論する「空気」が街中に溢れてるとか。ちょっとカフェに入ったら、学生らがあっちこっちでそんな会話してるとか。むちゃかっこええやん、そんな京都。もう、空気ばっかり気にして偏見と差別にがんじがらめになるような京都の側面からは卒業すべきやでぇ!
・・・というわけで、私はこのお盆は京都にちょっくら帰ってきます。そんで、五山の送り火も旧友とたっぷり観賞してくる予定!感慨深いやろなぁ、今年はひときわ!!
供養、そして希望を。光に根付いた本当の希望が全ての人の上にもたらされますように。
真剣に祈ってきます!(^^)
そやけど、実際問題、2カ月ぐらい前とは比べもんにならんほど、全国的に「脱原発」への意識が高まってきてて、正直、感動してるとこもある。ていうより、今までなら絶対に明るみに出ることもなかったような、組織の中や人々の心の中に巣食い続けた「澱のようなズルさやゴマカシやナメた気持ち」が次から次へとバレにバレて、さすがにみんな目が覚めはじめた、というのが実情なんちゃうやろか。その「汚さ」を非難したくなる衝動と同時に、確実に自分の中に巣食っていた同質の「汚さ」がお陰さまであぶり出されて、人知れず悔いるような気持ち。そういうのが「脱原発」へもつながっていってるんちゃうのかなぁ、と思う。
たとえば、某テレビ局の「セシウムさん」のテロップ問題とかさ、ああ…このフザケたノリを悪びれもせずやっちゃえる感覚って、音楽業界の中でも当たり前にあったなぁと、正直、真っ先に思った。思いだした。
平たくいえば、「一番世の中で触れてはヤバいネタ」というのを、いつも敏感に感じ取って茶化す、という文化。もっと簡単にいえば、「深刻なもの」を「冷やかして笑う」という徹底したセンス。もっとも、そこに「愛」があれば、たちまちその精神は人を生かす「ユーモア」になりえるんやろけど、それはあくまで「当事者」から生み出されるユーモアやんか。実情はそんなええもんではなくて、単に、すべてのものが「他人事」に感じられるからこそ垂れ流せる「虚しいセンス」やねんな。そういう「虚しいセンス」を披露することによって、その集団への帰属意識を高めようとする、これまた虚しい営みなんやけど・・・まあ、私もようそういう「場」で笑ってましたわ。ホンマに。。。
そんで、さすがに3・11以降って、そういう「他人事感覚」が日本中から払拭されて、「当事者意識」が勃発しまくってるときに、久々に能天気な「他人事感覚」を突きつけられたために起こった自我の罪悪感みたいなもんが、「セシウムさん」事件への世の中の反応の理由のひとつやったような気がする。私も、胸の奥がキュって痛かったもん、あれ最初に見たとき。その痛みは確実に「ひどい言葉に胸を痛めた」というものとは少し違って、「あ、このノリ・・・私もこれに関係してた!!」という、苦しいデジャブみたいなもんやった。
そしてそして、さらに・・・これは「京都人」として、あれこれ感じずにはおられん事件やったし書くわな。
京都の「五山送り火薪騒動」。
この事件で、まず何よりも押さえとかなあかんわ!!と思ったことは、間違っても、京都人がブツクサゆうてきた「文句」と、「『脱原発』の意思表明」とを同一視するようなことがあったらあかん、ということ。「放射能が怖い」という感覚は、当たり前の感覚やし、「放射能ってやっぱり怖いってことがわかったから、原発はイヤや!」という感覚は、真っ当やと思う。そやけど、よう考えてみてほしい。たとえば、「琵琶湖に放射能の灰が降ってきたらどないしてくれはんの!?水飲まれへんようになるやないの!」と、文句つけてきた京都人が、果たして、もんじゅの廃止や美浜原発の即時停止を真剣に訴えていたやろか、と。
・・・推測でものいうのんもアレやけど、たぶん、「脱原発」という意識をしっかりもった人なんて、その中にはほとんどおらんかったんちゃうやろかと思う。ようは、ただただ「心配」に支配されてただけの人達、やったんちゃうやろか。まあ、政府の言うことも東電や九電のいうこともウソばっかり、という状況の中では、何がなんでも「心配」でしょうがない、という人々の気持ちも責められへんというのは、確かにあるよ。
ただ、今回のことは、私も京都人として自戒を込めて言う権利があるかなぁ、と思うからあえて言うけど、「ああ、京都が言いそうなことや」ていうのと、そういうクレームちょっとつけられただけで、取りやめにしてしもたり、それに対してまたクレームがきて、またクルっとひっくりかえしたりするとことかも、「ああ、京都がやりそうなことや」と、正直いうて思った。最近よく言われる「原子力ムラ」やないけど、隠然と「京都ムラ」っちゅーもんがあって、「京都ムラ」の利権を脅かすものに対しては、したたかに激しく抵抗する。「ウチ」と「ヨソ」を厳然と見分けて、ウチを守るために、ヨソさんに対する合理性に基づかない(だって、薪は岩手の陸前高田ので、放射能検査してもシロやてわかった上やったんやで!)嫌悪感というのを色々な面で隠し持ってるのを感じるし、ウチの「空気」ばっかり読んでるし、ちょっとでもヨソさんがウチに入ろうとするならば、まずは「空気」を読むことを強要するっちゅーところがあるように思う。そういうので「伝統」を守ってきた、という自負があるから、話がややこしいねんけど。
でまた、それが同時に「反権力の文化」みたいなもんとして作用するのも京都のおもろいとこで、京大の原子炉実験所に小出先生みたいな人がいてられるのも、そういう「京都の反権力文化」の賜物とも言えるわけ。小出先生自身もそんなことインタビューで答えたはったで。たぶん「送り火で陸前高田の薪つこたらどーですか?」と持ちかけられてその気になった保存会のおっちゃんらの中にも、そういう反骨な人がおったんちゃうかなぁ。「国もモタモタしてるばっかりでアカンし、ウチの五山の送り火でしっかり供養さしてもらいますわ!」と。そやけど、意見調整の段階で、反対意見が激しくぶつかり合ったり明確なビジョンに基づく合理的な議論がきっちりなされた結果・・・ということではなく、京都的な悪習「空気の擦り合わせ」によって、結局断念してしもたんちゃうか、と。(ほんでもその後の全国からのクレームのおかげで、また空気が変わってんけどね・・・)
つまり、こういう風に京都の要素って、めちゃくちゃカッコええもんと、めちゃくちゃカッコ悪いもんが、激しく絡まりあってて、今回の事件はまさに、そういう京都の複雑な面が、混乱しながら絡まりまくってもっともザンネンな結果になってもた、という気がしてならんねん。そういう意味でも、これまた「隠されていた問題点」がお陰さまであらわになったことで、今後の京都人の生き方を考える上での大きな材料にしていかんとアカン!と思う。いままでみたいに、単純に「ウチの空気」だけ読んでたらええ時代は絶対終わったんやから。「ウチの空気」ではなくて、「真実」が顕わになってきたんやから、3.11以前のようにはもうのらりくらりでけへんのよ、向き合わんと!・・・と、ほんまに自戒を込めて、思う。
ほんでやっぱり、京都在住の京都人は、関電に対する脱原発運動をもっとガンガンにやってほしいわぁ。拝観税を突っぱねたり、鴨川に架けようとしてたフランス橋を突っぱねたりしたときみたいに、関電の原発もしたたかに激しく突っぱねていったらカッコええと思うねんけど。それで、京都らしい小規模分散型の自然エネルギーの在り方とかを議論する「空気」が街中に溢れてるとか。ちょっとカフェに入ったら、学生らがあっちこっちでそんな会話してるとか。むちゃかっこええやん、そんな京都。もう、空気ばっかり気にして偏見と差別にがんじがらめになるような京都の側面からは卒業すべきやでぇ!
・・・というわけで、私はこのお盆は京都にちょっくら帰ってきます。そんで、五山の送り火も旧友とたっぷり観賞してくる予定!感慨深いやろなぁ、今年はひときわ!!
供養、そして希望を。光に根付いた本当の希望が全ての人の上にもたらされますように。
真剣に祈ってきます!(^^)

